武田騎馬軍団(笑
2008.05.30 |Category …歴史・戦国
1 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2007/12/06(木) 00:55:39 ID:TmHjCAP
サラブレットクラスの馬にまたがり、騎馬用兵で
敵陣に切り込み、三方が原では徳川軍を蹴散らしたものの
織田の鉄砲の前にあとかたもなく一網打尽にバタバタと倒されていった
↑とまさに神or聖人君主の如く、普通の漫画や小説、
はたまた史実の如く語られる武田信玄及び、武田騎馬軍団を
馬鹿にしつつ、ちゃんとした目線で正当な評価をくだしていきましょう
サラブレットクラスの馬にまたがり、騎馬用兵で
敵陣に切り込み、三方が原では徳川軍を蹴散らしたものの
織田の鉄砲の前にあとかたもなく一網打尽にバタバタと倒されていった
↑とまさに神or聖人君主の如く、普通の漫画や小説、
はたまた史実の如く語られる武田信玄及び、武田騎馬軍団を
馬鹿にしつつ、ちゃんとした目線で正当な評価をくだしていきましょう
つづきを読む
史実のように歴史をかじったパンピーの長篠と武田勝頼の認識
1万5千の兵を率いて父の跡を受け継いだ武田勝頼は再度上洛を
始めるが、長篠にて(長篠城の記述はいっさいない)鉄砲三千丁をもった
織田軍3万7千が立ちはだかり。武田軍は一気に攻め込むが
織田軍の三段撃ちの連射の前に次々と武田軍の将が戦死。
織田・徳川軍は無傷で、武田軍はほぼ全滅に近い状態で
武田勝頼は領国へと逃げ帰る。
1万5千の兵を率いて父の跡を受け継いだ武田勝頼は再度上洛を
始めるが、長篠にて(長篠城の記述はいっさいない)鉄砲三千丁をもった
織田軍3万7千が立ちはだかり。武田軍は一気に攻め込むが
織田軍の三段撃ちの連射の前に次々と武田軍の将が戦死。
織田・徳川軍は無傷で、武田軍はほぼ全滅に近い状態で
武田勝頼は領国へと逃げ帰る。
騎馬戦がメインの西洋の騎士でも、足が速いだけが取り得の
サラブレット系大型馬に乗るのはよほどの貧乏騎士だけ。
重装備の鎧武者を乗せて全力疾走なんて!
敵陣にたどり着く前にへたをしたらダウンしそう
サラブレット系大型馬に乗るのはよほどの貧乏騎士だけ。
重装備の鎧武者を乗せて全力疾走なんて!
敵陣にたどり着く前にへたをしたらダウンしそう
山梨に住んでるとわかるが山ばっかで平地少ないし土地も狭い
精強な軍馬を育てる牧場をつくるスペースがあったとは思えない
精強な軍馬を育てる牧場をつくるスペースがあったとは思えない
.__
|風|
|林|
|火| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|山| | ヤタ!武田騎馬軍団が上洛だ!!
_∧ .∧(oノヘ| ̄ <
(_・ |/(゚Д゚ )|\ | お前等お館様にひれ伏せ!クソ共が!
<━━||\Ю ⊂)_|√ヽ \___________
(  ̄ ~∪ )^)ノ ;;;;⌒);;⌒)
//\// \ ≡≡ ;;;;⌒);;⌒)
'~ ~'~ '~ (´⌒(´⌒;;
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;;
【御旗楯無】甲斐のひき逃げ軍団逮捕【御照覧あれ】
1 名前: 足軽名無しさん 72/04/12 01:30
遠江三方ヶ原で1571年12月、騎馬隊の突撃を止めようとした
尾張の平手汎秀さんがひき逃げされ死亡した事件で、
織田家捜査一課は、強盗殺人容疑で騎馬隊を指揮していた
甲斐の戦国大名、武田晴信容疑者を逮捕した。
平手さんは、織田家の陣地で友人と話をしていたところ、
数千人の騎馬軍団が本陣を奇襲するのを目撃。
騎馬軍団を止めようとして前に立ちふさがったが、スピードを上げた騎馬にはねられた。
目撃情報が少なく捜査は難航。
織田家は平手さんが結婚資金としてためていた200貫を懸賞金に充て、
情報提供を呼び掛けていた。
|風|
|林|
|火| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|山| | ヤタ!武田騎馬軍団が上洛だ!!
_∧ .∧(oノヘ| ̄ <
(_・ |/(゚Д゚ )|\ | お前等お館様にひれ伏せ!クソ共が!
<━━||\Ю ⊂)_|√ヽ \___________
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【御旗楯無】甲斐のひき逃げ軍団逮捕【御照覧あれ】
1 名前: 足軽名無しさん 72/04/12 01:30
遠江三方ヶ原で1571年12月、騎馬隊の突撃を止めようとした
尾張の平手汎秀さんがひき逃げされ死亡した事件で、
織田家捜査一課は、強盗殺人容疑で騎馬隊を指揮していた
甲斐の戦国大名、武田晴信容疑者を逮捕した。
平手さんは、織田家の陣地で友人と話をしていたところ、
数千人の騎馬軍団が本陣を奇襲するのを目撃。
騎馬軍団を止めようとして前に立ちふさがったが、スピードを上げた騎馬にはねられた。
目撃情報が少なく捜査は難航。
織田家は平手さんが結婚資金としてためていた200貫を懸賞金に充て、
情報提供を呼び掛けていた。
日本の在来馬は体高120センチくらいでポニーと大差ないが、似たような馬で
モンゴル騎馬軍団が世界制覇してるから、馬鹿にしたもんじゃないでしょ。
サラブレットと比較してるのがアホらしい。
サラブレットなんてガラスの脚すぎて、小石に躓いたくらいで腱を傷めるくらい
貧弱なんだが。 日本の在来馬はタフそうだぞ。
モンゴル騎馬軍団が世界制覇してるから、馬鹿にしたもんじゃないでしょ。
サラブレットと比較してるのがアホらしい。
サラブレットなんてガラスの脚すぎて、小石に躓いたくらいで腱を傷めるくらい
貧弱なんだが。 日本の在来馬はタフそうだぞ。
身長180くらいあると両足が地面に届くそうだが、計算が合わない。
相当幅広なのか?
相当幅広なのか?
>>19
ただ、武田領の甲斐・信濃は全国で4つしかない勅旨牧とかいう、毎年都に直々に
馬を送る生産地だったらしいから、全国でも有数の良馬の産地だったみたいだな。
山岳での輸送とか行軍にも対応できるような馬を、武田家がかなりの数保有していた
可能性はある。 まあ山岳地方ゆえに数は少なかったかもしらんけど。
北条とか保有数多いよな。
>>20
モンゴル騎馬軍団の映画とか、たいてい兵の脚は地面につきそうになってるよ。
でもメチャメチャタフそう。 山岳だろうと河だろうと砂漠だろうと、余裕で超えて
いったらしいが、日本の馬もそういう方面での強さタフさがあったのかもしれん。
現代のイメージだとサラブレットみたいな馬で有機的な突撃を思い浮かべるけど
そういうのとは違うかもな。 そういうのは欧州系じゃね?
アレクサンドロス以降、騎兵の有機的活用とかいうイメージが沸く。
ただ、武田領の甲斐・信濃は全国で4つしかない勅旨牧とかいう、毎年都に直々に
馬を送る生産地だったらしいから、全国でも有数の良馬の産地だったみたいだな。
山岳での輸送とか行軍にも対応できるような馬を、武田家がかなりの数保有していた
可能性はある。 まあ山岳地方ゆえに数は少なかったかもしらんけど。
北条とか保有数多いよな。
>>20
モンゴル騎馬軍団の映画とか、たいてい兵の脚は地面につきそうになってるよ。
でもメチャメチャタフそう。 山岳だろうと河だろうと砂漠だろうと、余裕で超えて
いったらしいが、日本の馬もそういう方面での強さタフさがあったのかもしれん。
現代のイメージだとサラブレットみたいな馬で有機的な突撃を思い浮かべるけど
そういうのとは違うかもな。 そういうのは欧州系じゃね?
アレクサンドロス以降、騎兵の有機的活用とかいうイメージが沸く。
ごめんなさい。質問です。
特に信玄派でも信長派でもないんですけど信玄がなんで
軍神なんていわれているのかさっぱり分かりません。
信玄はたかだか150万石くらいを弱い主従関係でようやく保ってたんでしょ?
最後に織田・徳川への宣戦布告は武田家を滅ぼす原因になったし。
三方が原合戦は三倍の軍勢で結局、家康を殺せなかったし。
せめて戦闘員の本多忠勝の首くらい上げろよといいたいし。
やっぱ江戸時代の影響が大きく、過大評価されすぎな気がします。
特に信玄派でも信長派でもないんですけど信玄がなんで
軍神なんていわれているのかさっぱり分かりません。
信玄はたかだか150万石くらいを弱い主従関係でようやく保ってたんでしょ?
最後に織田・徳川への宣戦布告は武田家を滅ぼす原因になったし。
三方が原合戦は三倍の軍勢で結局、家康を殺せなかったし。
せめて戦闘員の本多忠勝の首くらい上げろよといいたいし。
やっぱ江戸時代の影響が大きく、過大評価されすぎな気がします。
>>24
武田軍に完膚なきまで倒された徳川家康が幕府を作ったから、
つまり恥を隠すためあえて誇張してマンセーした。
それはゆくゆく太平洋戦争等にも影響を
(ちなみに太平洋戦争において、武田=日本軍、織田=米軍で
ミッドウェー海戦=長篠とあてはめると意外にしっくりくる)
結局、いくさでモノを言うのは経済力、上杉謙信が軍神と誇張されてるけど
事実彼を支えたのは佐渡金山や越後の豊かな土地で。
織田なんてそれこそ、金が湯水のように湧き出てくる。
比較をすれば織田は2・3万の兵力の軍事行動が毎年できてな
おかつ貯金もできるのに対して、
武田は2・3万の軍事行動は2年に1回にしないと破綻する
それくらい経済力が違った。(長篠直前の勝頼はそれこそ
家臣の支持を高めるために必要以上に軍事行動をしていた。)
武田軍に完膚なきまで倒された徳川家康が幕府を作ったから、
つまり恥を隠すためあえて誇張してマンセーした。
それはゆくゆく太平洋戦争等にも影響を
(ちなみに太平洋戦争において、武田=日本軍、織田=米軍で
ミッドウェー海戦=長篠とあてはめると意外にしっくりくる)
結局、いくさでモノを言うのは経済力、上杉謙信が軍神と誇張されてるけど
事実彼を支えたのは佐渡金山や越後の豊かな土地で。
織田なんてそれこそ、金が湯水のように湧き出てくる。
比較をすれば織田は2・3万の兵力の軍事行動が毎年できてな
おかつ貯金もできるのに対して、
武田は2・3万の軍事行動は2年に1回にしないと破綻する
それくらい経済力が違った。(長篠直前の勝頼はそれこそ
家臣の支持を高めるために必要以上に軍事行動をしていた。)
実際のところ騎馬隊の実態てのはどんな感じだったの?
>>37
長篠の戦いでは騎馬で突撃したって織田は言うけど
実際は馬なんか並べて走れる場所じゃないから
武将や主立った者だけが馬にのって
他は馬に荷物乗せて徒歩で突撃したよ。
織田は強いけどいちいち大げさに言うのがよくないね。
あとついでに三方原でも騎馬突撃はやらなかったよ。
あそこは広かったけど徒歩で攻めた。
あの時は徳川方と全方面で槍合わせをしたんだよ。
槍合わせってのはクソ長い長柄槍でぶったたき合うんだから
馬上でやるわけねえだろ。
それから俺らは崖には落ちてねえよ嘘付くな。
と高坂弾正は言ってるな。
この言い振りだと普段は騎馬での突撃もやってたようにも聞こえる。
騎馬武者の最大の弱点が長柄槍による槍ぶすまだから
三方原の時は警戒して降りたのかも。
長篠の戦いでは騎馬で突撃したって織田は言うけど
実際は馬なんか並べて走れる場所じゃないから
武将や主立った者だけが馬にのって
他は馬に荷物乗せて徒歩で突撃したよ。
織田は強いけどいちいち大げさに言うのがよくないね。
あとついでに三方原でも騎馬突撃はやらなかったよ。
あそこは広かったけど徒歩で攻めた。
あの時は徳川方と全方面で槍合わせをしたんだよ。
槍合わせってのはクソ長い長柄槍でぶったたき合うんだから
馬上でやるわけねえだろ。
それから俺らは崖には落ちてねえよ嘘付くな。
と高坂弾正は言ってるな。
この言い振りだと普段は騎馬での突撃もやってたようにも聞こえる。
騎馬武者の最大の弱点が長柄槍による槍ぶすまだから
三方原の時は警戒して降りたのかも。
あの馬では出来ない。出来るわけ無い。と良く言われる。
しかし
出来る。出来るのだ。
用途に合った馬を使用していたのだ。
↓移動用途の馬
↓騎士が乗用した戦闘馬
しかし
出来る。出来るのだ。
用途に合った馬を使用していたのだ。
↓移動用途の馬
↓騎士が乗用した戦闘馬
江戸期に書かれた三方ヶ原の詳しい文献を色々調べてみると
実際の騎馬兵の割合は0.5%ぐらいしかいなかったようだね。
ほとんどが徒歩。ただ軍団の移動速度が異常に速かったと書かれている。
速さを馬に例えたのがいつの間にか騎馬軍団として伝わってしまったようだ。
86 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/01/04(金) 08:47:05 ID:y8UVwbzg
1.騎馬武者は騎兵ではない
騎兵は兵科(職種)。
騎馬武者は兵科(職種)ではなく、身分・身代・資格。
歩兵が馬や装甲車、歩兵戦闘車に乗っても歩兵であるのと同じで、
武者が馬に乗っただけの存在。
2.騎馬軍団や騎兵隊などというものは存在しない
騎兵が存在しない以上、騎馬軍団だの騎兵隊などの兵団や部隊は
存在し得ない。
3.騎馬武者のみの単独突撃というものは、ありえない
馬に乗れるだけの武者は通常、自分の家来を引き連れている。
武者が戦闘する際には、家来連が(全員ではないにせよ)随伴して
戦闘を行う。
従って、騎馬武者の戦闘と言うよりも、あくまでも馬に乗った
武者が徒歩の戦闘員を統率する形での戦闘となるのが常道。
もっとも、どこの世界にも外道はいるが、それを言い出すときりがない。
4.突撃と言えるほどの速度は出せない
近代軍馬との体格・騎馬武者の重量・随伴する徒歩の家来(の統率)という
要素が重なる以上、説明不要。
実際の騎馬兵の割合は0.5%ぐらいしかいなかったようだね。
ほとんどが徒歩。ただ軍団の移動速度が異常に速かったと書かれている。
速さを馬に例えたのがいつの間にか騎馬軍団として伝わってしまったようだ。
86 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/01/04(金) 08:47:05 ID:y8UVwbzg
1.騎馬武者は騎兵ではない
騎兵は兵科(職種)。
騎馬武者は兵科(職種)ではなく、身分・身代・資格。
歩兵が馬や装甲車、歩兵戦闘車に乗っても歩兵であるのと同じで、
武者が馬に乗っただけの存在。
2.騎馬軍団や騎兵隊などというものは存在しない
騎兵が存在しない以上、騎馬軍団だの騎兵隊などの兵団や部隊は
存在し得ない。
3.騎馬武者のみの単独突撃というものは、ありえない
馬に乗れるだけの武者は通常、自分の家来を引き連れている。
武者が戦闘する際には、家来連が(全員ではないにせよ)随伴して
戦闘を行う。
従って、騎馬武者の戦闘と言うよりも、あくまでも馬に乗った
武者が徒歩の戦闘員を統率する形での戦闘となるのが常道。
もっとも、どこの世界にも外道はいるが、それを言い出すときりがない。
4.突撃と言えるほどの速度は出せない
近代軍馬との体格・騎馬武者の重量・随伴する徒歩の家来(の統率)という
要素が重なる以上、説明不要。
>>86
同意できるところは大いにあるんだけど、
4の近代軍馬と比べて劣るから突撃が出来ないって理屈だけはどうだろう。
「随伴員がいるからそれに歩調をあわせるために、『高速での』突撃が出来ない」ならわかるが、
馬の能力にも理由を求めるのは無理があるのでは。
俺は体重85キロあるけど、木曽馬は俺を乗せて普通にギャロップできてたし、
(あとでスタッフにめちゃくちゃ怒られました。マジすみませんでした)
俺の全力疾走(100m14秒くらい)とほぼ同等の速度は出てたが。
これでも徒歩に比べりゃすげぇ速度だろ。
体感なんで当てにならんといわれりゃそれまでだけど、
今現在の木曽馬でもこれだけできるなら、当時使役されていた馬でも当然出来るはず。
そもそも「近代騎兵と同等の速度」が出なきゃ突撃っていえないのか?
同意できるところは大いにあるんだけど、
4の近代軍馬と比べて劣るから突撃が出来ないって理屈だけはどうだろう。
「随伴員がいるからそれに歩調をあわせるために、『高速での』突撃が出来ない」ならわかるが、
馬の能力にも理由を求めるのは無理があるのでは。
俺は体重85キロあるけど、木曽馬は俺を乗せて普通にギャロップできてたし、
(あとでスタッフにめちゃくちゃ怒られました。マジすみませんでした)
俺の全力疾走(100m14秒くらい)とほぼ同等の速度は出てたが。
これでも徒歩に比べりゃすげぇ速度だろ。
体感なんで当てにならんといわれりゃそれまでだけど、
今現在の木曽馬でもこれだけできるなら、当時使役されていた馬でも当然出来るはず。
そもそも「近代騎兵と同等の速度」が出なきゃ突撃っていえないのか?
乗り入れ
乗り込み
乗り崩し
って
用兵法が残ってるのがそれなりに
騎馬が居た証拠だろうね。
乗り込み
乗り崩し
って
用兵法が残ってるのがそれなりに
騎馬が居た証拠だろうね。
武田屋敷跡から出土した、馬の骨みたけど、
サラブレッドよりは小さいが、驚いたのは、その骨格の太さ。
スピードはないが、馬力がある、重戦車みたいな。人が乗り、
10人くらいで向かってきたら、相当怖いよ。
車や戦車もなない、あの時代の人にとっては大きくて怖いよ
サラブレッドよりは小さいが、驚いたのは、その骨格の太さ。
スピードはないが、馬力がある、重戦車みたいな。人が乗り、
10人くらいで向かってきたら、相当怖いよ。
車や戦車もなない、あの時代の人にとっては大きくて怖いよ
歩兵隊同士の戦闘ならば、陣形を整えて戦うことは非常に重要だ。
無秩序にバラバラに動いては人数相応の戦闘力は発揮できない。
そこで互いの陣形を乱そうと虚実の駆け引きがあるわけだが。
弓隊をうまく使うとか、騎馬隊を突っ込ませて陣形を乱すとか。
色々とやるのは当然の戦法だな。
武田が騎馬で有名なのは、騎兵隊の運用が上手かったからと考えるのが普通では無いのかね。
小柄な在来種の馬の群れなら何百頭と暴走してるのに巻き込まれても平気だと豪語する人は、
是非、実際に馬の群れに立ち向かってみて頂きたいw
無秩序にバラバラに動いては人数相応の戦闘力は発揮できない。
そこで互いの陣形を乱そうと虚実の駆け引きがあるわけだが。
弓隊をうまく使うとか、騎馬隊を突っ込ませて陣形を乱すとか。
色々とやるのは当然の戦法だな。
武田が騎馬で有名なのは、騎兵隊の運用が上手かったからと考えるのが普通では無いのかね。
小柄な在来種の馬の群れなら何百頭と暴走してるのに巻き込まれても平気だと豪語する人は、
是非、実際に馬の群れに立ち向かってみて頂きたいw
騎兵のメリットは、むしろその穿貫力よりは機動力にあるのでは?
機に応じて神速に展開できる。 敵拠点を長途迂回して思わぬ方面に出るなど。
騎兵を陣地戦の突貫戦力に使うのは相手が大兵力の場合、無謀なのでは?
馬は戦車じゃない。 弾丸にも矢にも傷つきますからなぁ。
(長篠の戦いの鉄砲三段撃ちが本当にあったのかどうかは疑わしいですけど)
機に応じて神速に展開できる。 敵拠点を長途迂回して思わぬ方面に出るなど。
騎兵を陣地戦の突貫戦力に使うのは相手が大兵力の場合、無謀なのでは?
馬は戦車じゃない。 弾丸にも矢にも傷つきますからなぁ。
(長篠の戦いの鉄砲三段撃ちが本当にあったのかどうかは疑わしいですけど)
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