織田信長が世界征服するには
2008.05.18 |Category …歴史・戦国
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柴田勝家→カラフト・シベリア方面司令官
惟住長秀→朝鮮半島方面司令官
滝川一益→フィリピン方面司令官
明智光秀→中国大陸北部方面司令官
羽柴秀吉→中国大陸南部方面司令官
惟住長秀→朝鮮半島方面司令官
滝川一益→フィリピン方面司令官
明智光秀→中国大陸北部方面司令官
羽柴秀吉→中国大陸南部方面司令官
一代で世界を征服したケースなんて世界史的にもまれ。というかそんな人物はいない。
チンギスハーンも後継者に恵まれたからモンゴルが拡大したという理由もある。
チンギスハーン個人ではモンゴルとモンゴルの周辺までしか帝国は拡大していない
ナポレオン個人ではヨーロッパの征服も満足に行えなかったからな
どうあれ信長個人では日本の征服すら無理だったのだから
どう考えても無理でしょ
チンギスハーンも後継者に恵まれたからモンゴルが拡大したという理由もある。
チンギスハーン個人ではモンゴルとモンゴルの周辺までしか帝国は拡大していない
ナポレオン個人ではヨーロッパの征服も満足に行えなかったからな
どうあれ信長個人では日本の征服すら無理だったのだから
どう考えても無理でしょ
唐天竺までも斬り従える
としても
世界征服には程遠い
としても
世界征服には程遠い
詳細以前に、海上輸送確保の軍事用の造船技術が発達しないと無理
日本統一してから
人口すくない所に植民を
蝦夷 千島 樺太 ウラジオ・シベリア 台湾
まだ中国系住人が少ない、フィリピン・インドネシア
さらにオーストラリア・ニュージーランド
人口すくない所に植民を
蝦夷 千島 樺太 ウラジオ・シベリア 台湾
まだ中国系住人が少ない、フィリピン・インドネシア
さらにオーストラリア・ニュージーランド
信長が世界に羽ばたくには日本を安定させないといけない。
その為には日本の国廃置郡を行って、各郡に知事を任命して統治する事が大事。
関東郡知事・滝川一益
東北郡知事・明智光秀
北信越郡知事・柴田勝家
東海郡知事・徳川家康
近畿郡(近江国除く)知事・羽柴秀吉
四国郡知事・長曽我部元親
山陰・山陽郡知事・ 毛利元就
九州郡知事・島津義弘
その為には日本の国廃置郡を行って、各郡に知事を任命して統治する事が大事。
関東郡知事・滝川一益
東北郡知事・明智光秀
北信越郡知事・柴田勝家
東海郡知事・徳川家康
近畿郡(近江国除く)知事・羽柴秀吉
四国郡知事・長曽我部元親
山陰・山陽郡知事・ 毛利元就
九州郡知事・島津義弘
蝦夷・千島・樺太征服は明智光秀、琉球征服は島津義弘に行わせる。
北方地方と琉球を大倭帝国領に加え、蝦夷郡と琉球郡を創設する。
知事はアイヌ民族と琉球民族から任命する。これで現日本領は統一された。
その後は琉球から台湾を占領、樺太から間宮海峡を渡って大陸に上陸して沿海州を占領。
沿海州占領後に、ブリヤート共和国(現)とモンゴル高原を占領。
九州から対馬海峡を渡り、朝鮮半島を占領。
朝鮮半島と北方から中国大陸東北地方に出陣。織田信長、朝鮮半島に上陸。
中国大陸東北地方を占領。
北方地方と琉球を大倭帝国領に加え、蝦夷郡と琉球郡を創設する。
知事はアイヌ民族と琉球民族から任命する。これで現日本領は統一された。
その後は琉球から台湾を占領、樺太から間宮海峡を渡って大陸に上陸して沿海州を占領。
沿海州占領後に、ブリヤート共和国(現)とモンゴル高原を占領。
九州から対馬海峡を渡り、朝鮮半島を占領。
朝鮮半島と北方から中国大陸東北地方に出陣。織田信長、朝鮮半島に上陸。
中国大陸東北地方を占領。
一つの経済圏が形成されるには移動距離が60日が限度なんだそうな
交通技術が西欧の19世紀後半ぐらいの技術が必要かな
それと戦車と爆撃機があれば一瞬だろ
他の地域は16世紀のまま
ただ征服した地域で反乱が頻発するだろうから
それを押さえ込むと同時に征服活動しないといけないから
金も莫大にかかるし大変だな
交通技術が西欧の19世紀後半ぐらいの技術が必要かな
それと戦車と爆撃機があれば一瞬だろ
他の地域は16世紀のまま
ただ征服した地域で反乱が頻発するだろうから
それを押さえ込むと同時に征服活動しないといけないから
金も莫大にかかるし大変だな
>>38
モンゴルからシベリア、中国東北にまでまたがる地域を確保した後には、
明やモスクワ公国の抵抗が予測される。
その為にまずは、ウイグル、チベットの明西部に対して大軍を送り占領する。
また台湾海峡を渡り中国大陸に上陸。華南地方を確保。
三方から軍を進め、華北・華中地域を占領。
中国・モンゴル・沿海州・ブリヤート地方・朝鮮半島・樺太・千島列島・日本列島・台湾の地域を統一し、
大倭帝国首都を北京に移転。
9の地域にそれぞれ統治府を作り、その地域の人物を統治府長官に任命する。
交通路の整備(北京が中心)、大倭帝国貨幣の統一、
貿易港の開港(欧州、イスラム、東南アジアとの貿易)、関所の廃止、年貢の廃止を行う。
モンゴルからシベリア、中国東北にまでまたがる地域を確保した後には、
明やモスクワ公国の抵抗が予測される。
その為にまずは、ウイグル、チベットの明西部に対して大軍を送り占領する。
また台湾海峡を渡り中国大陸に上陸。華南地方を確保。
三方から軍を進め、華北・華中地域を占領。
中国・モンゴル・沿海州・ブリヤート地方・朝鮮半島・樺太・千島列島・日本列島・台湾の地域を統一し、
大倭帝国首都を北京に移転。
9の地域にそれぞれ統治府を作り、その地域の人物を統治府長官に任命する。
交通路の整備(北京が中心)、大倭帝国貨幣の統一、
貿易港の開港(欧州、イスラム、東南アジアとの貿易)、関所の廃止、年貢の廃止を行う。
軍の再編も重要。
投石隊(10万) 、砲撃隊(15万)、弓矢隊(15万)、騎馬隊(24万)、
槍歩兵隊(20万)、剣歩兵隊(26万)の六つに構成される軍を作る。
武士制の廃止、兵役制を採用する。
投石隊(10万) 、砲撃隊(15万)、弓矢隊(15万)、騎馬隊(24万)、
槍歩兵隊(20万)、剣歩兵隊(26万)の六つに構成される軍を作る。
武士制の廃止、兵役制を採用する。
16世紀後半と言うと、明の向こうに、
ムガル帝国
サファヴィー朝
オスマン帝国
モスクワ大公国
神聖ローマ帝国
フランス・イギリス
スペイン・ポルトガル
今、毛利処遇と中国の反乱防止に手間取ってるので
先は長いのうw
ムガル帝国
サファヴィー朝
オスマン帝国
モスクワ大公国
神聖ローマ帝国
フランス・イギリス
スペイン・ポルトガル
今、毛利処遇と中国の反乱防止に手間取ってるので
先は長いのうw
世界制服には、ソフトパワーたる宗教が必要。
そして、将来の利益を保証するビジネスモデル。
これを提示できれば、何とか協力者を見つけて、
行けたんではないか。
信長には、無理だったかもしれないが。
そして、将来の利益を保証するビジネスモデル。
これを提示できれば、何とか協力者を見つけて、
行けたんではないか。
信長には、無理だったかもしれないが。
まずこの時代では、モンゴル・中国・インドを支配すれば世界征服出来たんじゃない。
信長の鉄甲船ってイスパニアのガレオン船にも勝てる設計なのか?
>>72
太平洋に出たら沈む
太平洋に出たら沈む
>>72
同時代の記録で「鉄甲」について記したものは一つしかない上、その動機も
「鉄砲通らぬ用意」であったと書かれています。
そう大袈裟なものでもないでしょう。船端に楯のように連ねたぐらいでは。
『信長公記』は、勝利の鍵は多数の「大鉄砲」であったとしています。
オルガンティーノが目撃した大砲ではなく、一貫目大筒のような大型の鉄砲
でしょう。長島攻めの際にも使われて、塀を破壊しています。
記録した人間それぞれで注目したものが異なった(鉄ノ船、大鉄砲、大砲)
というのは面白いですが、実戦に関していえば、鉄甲や大砲はさほど役に立
たなかったのだろうと思います。
>イスパニアのガレオン船
当時はまだ接舷による切り込み志向が強いですね。
大砲の命中率と威力も、さほどではなかった。
同時代の記録で「鉄甲」について記したものは一つしかない上、その動機も
「鉄砲通らぬ用意」であったと書かれています。
そう大袈裟なものでもないでしょう。船端に楯のように連ねたぐらいでは。
『信長公記』は、勝利の鍵は多数の「大鉄砲」であったとしています。
オルガンティーノが目撃した大砲ではなく、一貫目大筒のような大型の鉄砲
でしょう。長島攻めの際にも使われて、塀を破壊しています。
記録した人間それぞれで注目したものが異なった(鉄ノ船、大鉄砲、大砲)
というのは面白いですが、実戦に関していえば、鉄甲や大砲はさほど役に立
たなかったのだろうと思います。
>イスパニアのガレオン船
当時はまだ接舷による切り込み志向が強いですね。
大砲の命中率と威力も、さほどではなかった。
まず外交で李氏朝鮮を屈服させて、半島を軍事拠点にする。
強襲船を作ってそれで支那沿岸部をとりあえず「取る」。
そうすんと支那陸軍がやってくるから適当に応戦し撤退。
また強襲、また撤退。これを粘り強く繰り返してりゃ
支那に内乱起きて勝手に滅ぶよ、あの国は。そして
こちらに都合のいい勢力を援助し、最後にそいつを
裏切って征服完了。当時の支那を征服すりゃまだ黎明期の
欧州帝国はゴミクズだし、オスマンにはかなり苦戦するかな?
でも信長は新し物好きだそうだから、兵器を相当改良すると
思う。
強襲船を作ってそれで支那沿岸部をとりあえず「取る」。
そうすんと支那陸軍がやってくるから適当に応戦し撤退。
また強襲、また撤退。これを粘り強く繰り返してりゃ
支那に内乱起きて勝手に滅ぶよ、あの国は。そして
こちらに都合のいい勢力を援助し、最後にそいつを
裏切って征服完了。当時の支那を征服すりゃまだ黎明期の
欧州帝国はゴミクズだし、オスマンにはかなり苦戦するかな?
でも信長は新し物好きだそうだから、兵器を相当改良すると
思う。
重火器をオスマンや北アフリカ以上に強力にし、
命中率を高め、
最悪騎兵に持たせる(竜騎といったか)。
これでオスマン取れるだろう。
あそこの最大帝国のオスマンが倒れりゃドミノ倒しで欧州の端まで
服従するだろうな。
命中率を高め、
最悪騎兵に持たせる(竜騎といったか)。
これでオスマン取れるだろう。
あそこの最大帝国のオスマンが倒れりゃドミノ倒しで欧州の端まで
服従するだろうな。
おお、ついにオスマン帝国まできたか。
早かったな。世界統一。
早かったな。世界統一。
海軍が破滅的に弱すぎる
朝鮮出兵の際には李朝水師にすら負け続けたのに
イスパニアやオランダの相手ができるとでも?
朝鮮出兵の際には李朝水師にすら負け続けたのに
イスパニアやオランダの相手ができるとでも?
信長の世界征服への最低条件
1 海軍の整備及び航法の研究
2 食糧物資の大量生産
3 軍の再編(兵の絶対数確保[約50万]・兵種別に軍を分割)
4 部下の絶対的な忠誠
5 安定した経済を保つ
6 火薬兵器の大量生産
7 日本列島(蝦夷・樺太・千島・琉球含む)の完全統一
これに加えて必要な条件は、
東南アジア(ポルトガル海上帝国・マタラム王国)・朝鮮半島(李氏朝鮮)・中国(明)・モンゴル(タタール)の占領。
最低でも東南アジアと朝鮮半島は確保したい。
1 海軍の整備及び航法の研究
2 食糧物資の大量生産
3 軍の再編(兵の絶対数確保[約50万]・兵種別に軍を分割)
4 部下の絶対的な忠誠
5 安定した経済を保つ
6 火薬兵器の大量生産
7 日本列島(蝦夷・樺太・千島・琉球含む)の完全統一
これに加えて必要な条件は、
東南アジア(ポルトガル海上帝国・マタラム王国)・朝鮮半島(李氏朝鮮)・中国(明)・モンゴル(タタール)の占領。
最低でも東南アジアと朝鮮半島は確保したい。
朝鮮の柴田、北京の羽柴、マニラの滝川、シャムの丹羽、バタビアの佐々で後継者争いとか
どんな政略の流れになるか想像もつかん
どんな政略の流れになるか想像もつかん
信長が生きてたら秀吉や家康のような中途半端な政権作らず
強烈な中央集権国家になってたのに
強烈な中央集権国家になってたのに
織田信長の政権は一見強大なんだけどしょっちゅう謀反起こされてて
内部はかなり脆弱なんだよなぁ。結局最後は謀反で崩壊するし。
後継の羽柴政権での謀反は皆無なのとは対照的。
例外は秀次の謀反だが、それもでっち上げの可能性が高いし。
内部はかなり脆弱なんだよなぁ。結局最後は謀反で崩壊するし。
後継の羽柴政権での謀反は皆無なのとは対照的。
例外は秀次の謀反だが、それもでっち上げの可能性が高いし。
島国としては奇跡的な国力を持ったイギリス帝国でさえなんだか中途半端だったしなあ。
島国って覇権に向いてないと思うよ。
でも、
欧州の軍事的な英雄って島国出身者が多いよね。ハンニバルとかナポリタンとかさ。
島国って覇権に向いてないと思うよ。
でも、
欧州の軍事的な英雄って島国出身者が多いよね。ハンニバルとかナポリタンとかさ。
いかにチンギスハンがすごいかわかるな。一代であの領土。
そして偉大なアレキサンドロス。30歳であの領土。
ところが東アジア全体を通してみれば
日本はイスパニアをして伊達使節に征服不可能と答えさせた激戦区。
案外実態は北条・伊達>マタラム>台湾方面>フィリピン方面・・・とかな
異国の弱小海域を征服しながら国力を増して
国内の残敵を討つ方が妙案。
日本はイスパニアをして伊達使節に征服不可能と答えさせた激戦区。
案外実態は北条・伊達>マタラム>台湾方面>フィリピン方面・・・とかな
異国の弱小海域を征服しながら国力を増して
国内の残敵を討つ方が妙案。
アレクサンドロスは宗主国を裏切っただけ
>>127
>宗主国を裏切っただけ
ワロタw久々にハイレベルなヤシ降臨の悪寒w
>宗主国を裏切っただけ
ワロタw久々にハイレベルなヤシ降臨の悪寒w
ていうか宗主国を裏切るのって凄いことなんじゃないか?
>>134
しかも国力差数十倍の当時最大の世界帝国を正面からなぎ倒して
あっという間に征服。凄すぎ。
しかも国力差数十倍の当時最大の世界帝国を正面からなぎ倒して
あっという間に征服。凄すぎ。
【アレクサンドロスが世界征服するには】
の方がよかったかもしれない
長生きすれば、カルタゴ、ローマは確実に取ってたでしょ
の方がよかったかもしれない
長生きすれば、カルタゴ、ローマは確実に取ってたでしょ
信長や その時代の日本において 人道的な思想がなかったのだけは
まちがいない。同時代の 西欧と比べること自体無意味。
戦争技術、文化レベル、思想どれをとっても日本など西欧の足元にも
およばない。
まちがいない。同時代の 西欧と比べること自体無意味。
戦争技術、文化レベル、思想どれをとっても日本など西欧の足元にも
およばない。
スレの最初のころにあった日本まとめる前に家臣まとめて出直して来いってのが正解だな。
島国は島国を本拠にした場合は英雄が出ない。大陸に行けば
軍事的な英雄になる可能性だけがちょっとあるだけ。
しかもほとんどすべてが欧州の話。日本近辺だと鄭成功くらいですかね?
軍事的な英雄になる可能性だけがちょっとあるだけ。
しかもほとんどすべてが欧州の話。日本近辺だと鄭成功くらいですかね?
ようするにほかの西欧の植民地にされた国と日本はかわんねーだんだよ
距離が近かったか一番東にあったかの違いだけ。
いまも同じ、植民地は合法じゃなくなったが少しづつ、合法の方法で
搾り取られてる。日本を誇るなら、争いも本当に正しいことのためなら
行わねばならない。右の頬をなぐられたら左の頬もどつかせろ、
それじゃ 日本はおしまい。
距離が近かったか一番東にあったかの違いだけ。
いまも同じ、植民地は合法じゃなくなったが少しづつ、合法の方法で
搾り取られてる。日本を誇るなら、争いも本当に正しいことのためなら
行わねばならない。右の頬をなぐられたら左の頬もどつかせろ、
それじゃ 日本はおしまい。
一応、日本が戦国時代やってる頃には既にヨーロッパじゃ騎乗して鉄砲撃ってるよ。
持ってたのは小銃じゃなくてピストルだけどな。
突撃しながら槍が届かない程度の距離まで近づいて一発ズドン、
あとはさっさと馬首を返して逃げるって戦法。
これじゃあまりにも打撃力に欠けるってんで撃った後に
サーベル抜いて切りかからせるようになったが。
持ってたのは小銃じゃなくてピストルだけどな。
突撃しながら槍が届かない程度の距離まで近づいて一発ズドン、
あとはさっさと馬首を返して逃げるって戦法。
これじゃあまりにも打撃力に欠けるってんで撃った後に
サーベル抜いて切りかからせるようになったが。
>>428
カラコール戦術の事?
一般的に使用されるようになったのは、
フリントロック式のピストルが普及する17世紀前半からの話だよ。
16世紀の時点だと、ホイールロック式のピストルが高価だった為、
ごく一部の部隊でしか採用されていない。
16世紀後半から価格が下がって来て普及し始めるけど、
それでも一般的な戦術となるには至っていない。
後、サーベル突撃も考案されたのは16世紀後半のアンリ4世の時代だが
戦術として確立され広く普及するには17世紀のグスタフ・アドルフを待たなくてはならない。
カラコール戦術の事?
一般的に使用されるようになったのは、
フリントロック式のピストルが普及する17世紀前半からの話だよ。
16世紀の時点だと、ホイールロック式のピストルが高価だった為、
ごく一部の部隊でしか採用されていない。
16世紀後半から価格が下がって来て普及し始めるけど、
それでも一般的な戦術となるには至っていない。
後、サーベル突撃も考案されたのは16世紀後半のアンリ4世の時代だが
戦術として確立され広く普及するには17世紀のグスタフ・アドルフを待たなくてはならない。
16世紀の段階では、世界征服なんて無理だろ。
そもそも機動力が足りなすぎる。
本気でやるんだったら、せめて数日で地球を一周できるぐらいの移動力、輸送力、通信力がなきゃ。
リアリティがあるとしたら、19、20世紀の歴史段階に入ってから。
秀吉だって、朝鮮半島すら支配できなかったんだよ。
海を隔てて軍事作戦を展開するには、どうしても物理的な力が足りない。
九州や四国を攻めるのとはわけが違うよ。
そもそも機動力が足りなすぎる。
本気でやるんだったら、せめて数日で地球を一周できるぐらいの移動力、輸送力、通信力がなきゃ。
リアリティがあるとしたら、19、20世紀の歴史段階に入ってから。
秀吉だって、朝鮮半島すら支配できなかったんだよ。
海を隔てて軍事作戦を展開するには、どうしても物理的な力が足りない。
九州や四国を攻めるのとはわけが違うよ。
近代化以前の世界征服は不可能
あまりに国土広すぎて、情報の伝達に時間がかかる→
なので現地の司令官が独断で指揮する→
やがて中央に頼らずに独自に行動→勝手に独立したり反乱をおこして国家分裂
さらに短期間(一代で)での領土拡大は非征服民の怨みつらみが癒えるどころか、
爆発して反乱に繋がることも。
史上最大版図のモンゴル帝国は最初はなんとか保っていたが、
やはり国土があまりにも広すぎて分裂。
ローマ帝国では、徐々にゆっくりと領土拡大・非征服民のローマ化をして地盤を固めていった。
初代皇帝アウグストゥスは、
これ以上領土を広げると統治が難しいとして
(肥大化した軍事費の問題もあり)防衛路線に転換、国境を確立。
その後は微妙な領土拡大はあるものの300年間ほとんど変化なし。
やっぱり近代化以前の領土拡大・維持の限界はローマ版図なのかねえ
あまりに国土広すぎて、情報の伝達に時間がかかる→
なので現地の司令官が独断で指揮する→
やがて中央に頼らずに独自に行動→勝手に独立したり反乱をおこして国家分裂
さらに短期間(一代で)での領土拡大は非征服民の怨みつらみが癒えるどころか、
爆発して反乱に繋がることも。
史上最大版図のモンゴル帝国は最初はなんとか保っていたが、
やはり国土があまりにも広すぎて分裂。
ローマ帝国では、徐々にゆっくりと領土拡大・非征服民のローマ化をして地盤を固めていった。
初代皇帝アウグストゥスは、
これ以上領土を広げると統治が難しいとして
(肥大化した軍事費の問題もあり)防衛路線に転換、国境を確立。
その後は微妙な領土拡大はあるものの300年間ほとんど変化なし。
やっぱり近代化以前の領土拡大・維持の限界はローマ版図なのかねえ
諸君!
熱い議論あっぱれ!
でも既に本宮先生が結論を出しておるな
熱い議論あっぱれ!
でも既に本宮先生が結論を出しておるな
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