【話題】 終戦定食
2008.08.17 |Category …ニュース
千切り大根めし、いもがら入りだご塩汁、おから、サツマイモのつるのいため物、ところてん――の5品。
戦中戦後の食事を再現した「終戦定食」(300円)が、宮崎市の宮交シティの従業員食堂で一般
向けに出された。同社が社員向けに提供を始めてから30年続く恒例の行事。この日用意した約100
食は、2時間ほどで完売した。
味付けは塩だけ。
記者も実際に食べてみた。サツマイモのつるのいため物やおから、ところてんはどれも
素朴な薄味。おかずには物足りない感じがする。大根めしは、麦ご飯にサツマイモなどが入っていて、
はしが進んだ。濃い味つけの食事に慣れているせいか、素朴な味の定食は新鮮でおいしいとも感じた。
ただ、毎日だとすぐに飽きてしまいそう。
「ずっと前から食べたかった」と話すのは、妻(65)と娘(38)、孫(1)を伴って来た河辺睦雄さん(69)。
だご塩汁を口にして、「なつかしい味」と一言。当時、川南町にいたころの食事を思いだし、「食べられれ
ば幸せだった」。
同町には空挺(くうてい)落下傘部隊がいたため空襲が激しく、学校にもほとんど通えなかったという。
「世界中では今も戦争やテロなどが起き、心が痛む」と話した。
終戦定食は「1年に1回でも戦争について考えるきっかけになれば」と、同社の社員向けに78年に始め
た企画。88年には一般客にも提供するようになった。企画課の長友淳一課長代理は「特に若い人に
食べてほしい。食を通じて、平和の喜びやありがたさをかみしめて」
http://www.asahi.com/national/update/0816/SEB200808160001.html
普通にうまそうだな。
つづきを読む
5 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/08/16(土) 23:19:57 ID:ntInBjjK0
糖尿病の人によさそうだな
大根、おから、サツマイモ
今の材料で作ったら美味いよ
野菜なんて良い肥料もなく
庭で細々作った糞まずいやつじゃないと
当時の味は出せないだろ
オレの日常的な食事より豪華だな。
地方は結構食えてたんだよな
これ食ったよ
チーズと小芋定食 3000円
F1弁当 10000円
終戦定食 300円
材料は全て国産品を使っているんだろうな?
当時の百姓はずいぶんケチっててね、高級な着物とかを物々交換しても、
サツマイモのつるしか分けてもらえなかったってうちの婆ちゃんはずっと恨んでた。
>>13
うわwwwwwwwwww 終戦時のほうが食糧事情いいじゃんwwwwwwwwwww
>>13
仙台の給食も入れたほうがよくね?
>>15
さつまいものつる植えれば沢山収穫できるじゃん。
田舎は戦時中だって戦後間もなくだってもっと贅沢なもの食べてたぞ。
農家をやってた長野のじいちゃんばあちゃんは、食べ物に困った事はないと言ってた。
白いご飯や野菜は有り余るほどあったし、
かりんとうなどのお菓子も毎日食べてたと言うし
毛皮供給するために飼ってたウサギも食ってたと言うし
ヤギの乳も飲んでたと言う。
二人とも、90過ぎた今でも超元気だ
>>19
収穫?その頃には栄養失調の死体しかないぜw
ジジイから聞いた話だが
飯を増やすために色んなもん入れたそうだが
稗や粟いれた飯は好きだったが
菜っ葉いれた飯は青臭くて当時子供だったジジィが
嫌で嫌で仕方なかったそうだ
>>15
今も昔も百姓なんてそんなもの。
せこくて助平で人の足元見るのがどん百姓の習性。
異論は認めない。
>>13
チーズと小芋定食はねーよwwwwwwwwwwww
大根めしとか、田舎の人は逆に裕福な食事してたらしいよ
都会と違って、だから疎開していた
>>11
俺のうちは農家だったから、父ちゃんに「戦争中おなかすいてた?」と聞いたが
う~んあの頃は寒かったなぁ、医師を焼いてハンカチに包んでポケットに入れて学校に行ってたよとか
B29ってのは大きいんだ、夜、撃墜されて落ちていくのはきれいだったよ、、、と
至ってのんきな事ばかり言っていたwww
じいさんは八幡製鉄所で働いていて、額がへこんでいた「じいちゃん、それ空襲であいたの?」と聞くと
「いいや?仕事していて鉄骨が落ちてきたんだよwww」と全然平気
叔母が「あんたのじいちゃん空襲があった時に危険だったのよ」というので
「爆弾が落ちてきたの?」と聞くと、
「違うわよ、馬車でうちまで帰る時に電線がたれていて危険だったのよ」とか言うwww
戦争を知らない世代に、ウソばっかり教えるのはヤメレwww
>>11
うちの親戚のばあちゃんいわく、
ふつーに白い御飯も野菜も魚も十分にあったからすいとんも芋の茎も
おかずの数ある献立のうちの一品でしかなかったそうな、福岡のとある漁村だが。
農家との交換やらでわりと余裕だったと。
定食と一緒に写ってるおばちゃんの表情が、終戦時を表してますねw
>>15
サツマイモのつるはみりんと醤油で甘辛く炒めたらうまい。
そのばあちゃんは、農家の人から見れば
キンピラを木の根っこ食わされたと怒ってるアメリカ捕虜みたいなもんだろ
白米が銀シャリと言われた時代
卵かけて白い飯腹一杯食うのが
当時の夢なんて信じられないな
>>13
ちょっとまてwwwwwチーズと小芋定食をその値段で出す基地外はどこのどいつだwwwww
>>『北斗の拳』第一話でモヒカンが万札の束を見て、
「今じゃケツを拭く紙にもなりゃしねぇってのによぉ!」
って言ってたの思い出した。
その背後じゃ仲間が水に対して大喜び。
極限状態では 水と食料>>>金品・衣類 なんだろうな。
大地の恵みの蒸し物
もしやこれが究極のメニュー?
だから今の美味いイモと
当時のイモは全然ちゃうんだって
言っても理解できんだろうな
このくらいが、丁度いいな。
こいつらに1日2食、そのうち1食はパンと水だけで暮らしてる
派遣社員の俺の気持ちなど到底、理解できないだろうな
ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって
食えるだけまし
農村で人身売買やら間引きやらが横行してたのが226事件の一因なわけだが
戦時中に農村が裕福だったらわざわざ満蒙開拓団に入るわけがなかろう
なんだか美味しそうなメニューに思えるんだが・・・
うちの親父は終戦直後にベタ焼き食べ過ぎたせいで
今でもお好み焼きがあまり好きじゃない
ペタ焼きってお好み焼きの具がほとんどないようなもんらしい
俺の一日分のメニューか
小麦粉に味噌混ぜて
油多目で焼くと美味いぞ
今の時代、凝ったヘルシー食って感じになるなあ
胃に優しそ~
奥田博覧会なら3,000円は堅いレベル
おれ、チキンラーメンだけどw
おはじきやんか、ドロップちゃうで!
これって、読売かどこかでやっていた、
「食料自給率39%メニュー」そのものだな。
もう63年も前だからな
俺に語ってくれた親達も子供だったから記憶は曖昧だったな
都会だったからいろいろ苦労したようだ
チーズと小芋定食 3000円
F1弁当 10000円
大地の恵みの蒸し物 1万5000円コース前菜.
仙台の給食
終戦定食 300円
チーズと小芋定食 \3,000 って初見なんでぐぐったら愛知万博かよ。
F1 といい何で ヨタ 絡みばかりなんだw
チーズと小芋定食のインパクトがあり得ないwww
塩があるだけでもまだましだ
当時の身分の高い人の食事
チーズと小芋定食 3000円
F1弁当 10000円
をみてると血圧があがるからヤメレ
いちいち終戦とかウザいけどすごく食べたいなwwww
>「終戦定食」(300円)
やすうううううう
都市部は食糧難だったけど、農村部はちがったらしい。
昔うちの祖母(麹町生まれ)が生きてたころ、
隣のおばあちゃん(栃木県のご出身)と戦中戦後の話をしていて、
「私は食べ物で苦労したことはありませんよ」「ほんとうですか!」とか言ってたのを覚えてる。
うちの職場の職員食みたい。
一食300円。同じですね
好きだわこういう食事
チーズと小芋定食出してた店名教えて。
絶対その店行きたくない。
無職やらワーキングプアやらで、食うや食わずの生活をしている人達なんて
今の日本にゴマンと居るんですけど・・・・
さすが朝日新聞。
「終戦」という単語を見ると/聞くと、他に何も見えなくなってしまう。ww
うちの昭和11年生まれの父は、いまだにすいとん汁が食べられない。
食卓に上がると激怒する。戦時中を思い出して辛いって。
私と妹が好きなので、
父が不在の時によく作ってもらってたが、
母は、肉や野菜がたっぷり入ったすいとん汁を作りながらも、
「戦時中はこんな豪華なものではなかった」と私たちに言い聞かせてた。
何が言いたいかというと、
戦争イクナイ!世界は平和に!核は断絶せよ!
リアルな話をすると、戦争規模の割に被害者が少ない戦争だった。
今の時代に同じ規模の戦争がおきると。。。。。
ちなみに、共産主義国が自国の国民を粛清した数は、
どの国も日本の戦死者と比べ桁外れに上。
比喩でもなんでもなくね。
>>100
確かにうちのばあちゃん(兼業農家農業担当)も
食い物にだけは困ったことない。と言ってた。
贅沢なくらしを望まなければ、農家で食いっぱぐれることは
ないんじゃないかな?
100円ショップに売ってるような、お米に混ぜる押し麦パックがあるんだけど
押し麦だけを研いで炊いてみた。
おお何だおいしそうに炊けてるじゃん・・・と思って一口食べてみたら体験したことも無い、
化粧品みたいな変な香りが口中に広がって
とても食えたもんじゃなかったのを思いだした。お米って偉大だ。
むしろ、こんな粗末な食事で、どうやって戦後復興できたのか?
実際食べたが、とても力仕事なんかできないぞ…
昔の日本人は偉大過ぎる!
そういや知り合いの祖父で、開戦前に入院して
戦時中ずっと寝込んでて退院したら新憲法発布ってすごい人がいるそうな。
流通制限の関係で先を見越して少なめに配給してただけで
食材自体は、そこそこの確保が有ったらしい。
実際、終戦間際に恒久食材を手に入れて、覚悟を決めるって話はゴロゴロと。
ちなみに、某真っ赤な人は直前に牛肉仕入れてすき焼き食ってたそうなw
>「ずっと前から食べたかった」と話す
嘘つけ。
麦ご飯とか今の世でも食えるけど、戦後世代はめちゃくちゃ嫌がる人が多いぞ。
じいさんに聞いた時は、食べ物は困らなかった言ってたな。
地域差か
魚の缶詰食えない高齢の人って多いな
子供のころ散々食わされたから、もう食わずに済みたいという理由で
衛生的だからごちそうに見えるんじゃね、泥だらけ手掴みだったら萎えるかも
うまそうじゃん
囚人と一緒に食べられる網走の監獄食(500円)の方がいいな。
>>51
典型的な派遣定食
典型的な正社員定食
典型的なセレブ定食
5品、って品数多いね
戦中より戦後数年の方が食料難だったらしいな
あと農村はじいちゃんばあちゃんの話聞く限り貧しいのがほとんどだったと思うぞ
閉鎖的で貧しいから結構陰惨なんだよ
そこに田舎をバカにする疎開者が来たらトラブルも起きやすい
>>142
こんなの毎日食ったら別の意味で倒れるぞw
ちなみに、生活補助9万円の人でもなんとか3食は食ってる。
派遣で食えねぇとか言ってるのは人としてダメすぎ。
ゆとりは、ダメ人間に騙されちゃダメだぞ
まあ卵ごはん1800円とかみた気がするしな。
もちろん地鶏だかなんだか忘れたけど
高級なやつらしいが。
結局国の配給システムがちゃんと機能してなかっただけじゃないの?
役人の家じゃ戦時の臨時手当てとかいって現物が食べられないほど渡されたのが、
闇市に回ってそういう所から買うしかなかったんじゃないかな。
食糧事情が悪かったっつーか
物流が壊滅的だっただけ?
これで300円か。普通においしそうだね。
オレの食生活よりリッチな食事だわ、ハハハ・・・
小学生の頃一度だけおにぎり2個とすいとんだけっていう給食が出たな
勘違いしちゃいけないのは、食糧難が発生したのは戦中でなく戦後って事。
ワーキングプア定食
100円ショップのカップ麺一個
以上
丁稚揚げ定食食べたい。
独身正社員定食は
スーパーのタイムサービス半額弁当(´;ω;`)
これで300円は安いな。ヘルシーだし。
平日は朝昼抜きなんだよね。
朝は自己責任の部分もあるが、昼休みがお手洗いと自販機以外取れない。
しかもそれを上回る量の業務がくるから仕事が溜まること溜まること。
いちおう労基法とかあるから、タイムシートでは休憩1時間取ってることにしてるけどね。
戦後六十余年経って、まだ耐え忍ぶとは思わなかったw
日本いつまで堪忍ぶん?
実際は画像のような量は食べられなかっただろうね。
人にもよるだろうけど。
うちの祖母は昔のひもじさを思い出すのが嫌で
未だに炊き込みご飯や混ぜご飯が食べられない。
しかし、腹一杯になれば満足な犬猫の餌じゃあるまいし、
今更コレとコレをコレっぽっちって食事は耐えられんな
仮にカロリーが充分足りてても無理だ
必死にセミやらイナゴ取って食うわw
でも、醤油が無けりゃダメだなあ
うちの爺さんは玄米が大嫌いで白米が大好き。
俺は玄米は大好きで白米も嫌いではない。
しかし爺さんに言わせると俺は白米が好きなのに我慢しているらしい。
貧乏しても人の気持ちがわかるかどうかは別の話なんだな。
陸軍のメニューをよく作るけどうまいよ。
陸軍式ケンチン汁とかおすすめ
すいとんは結構うまい。サツマイモのつるの佃煮も結構いける。
おからもよく作る。
すいとんは学生の頃ちょくちょく作ってたなぁ。安くて簡単に作れるから。
ただし、確かに毎日は飽きるわ。
>>236
そもそも、陸軍の募集の目玉は3食旨い飯が食える事。
陸軍飯が不味いはずがない。
良いメシを食わしたいが為に銀シャリとご馳走ばっか食わせて脚気が問題になったほど
>>239
しかし、貧乏や質素がフツーの当時のウマいと、今のウマいは違うだろう
まあ、良い米で作った塩握りやオカラでも、たまに食えばウマいがな
>>239
陸軍は銀シャリがウリだったのは事実だが、おかずは好きなモノを食えと現金を渡したため、
みんなおかずを食わずに貯金や仕送りに回してしまい、脚気の蔓延の一因になったそうだ。
>>241
当時の陸軍で正式採用されてた、現在のコンバットレーションに相当する食品で
数少ない正式採用品の一つが「牛缶」だったりする。
これの生産の為に、終戦間際は民間への牛肉配給が止まったほど。
それだけ、兵隊に旨い飯を食わせるのは重要だったのよ。
あと、戦前・戦中の食事は、君らが思ってるような質素な物では無かったんだよ。
酷くなったのは終戦間際と終戦後。
当時、アイスケーキだって民間庶民で食えてたんだよ
>>246
戦前って日本の土地少ないのにどうやって食料を自国で100%確保してたの?
単純に人口少なかったからこと?
既に単純に美味さを求めるよりも、美食や遊びの一環で変わった物が食いたい奴が多いからなあ
普段食ってない珍しい物を食うと、割と美味く感じる
>>1は珍味かもなw
>>247
日本は言われてるほど小さく無いよ。
欧州でもにほんより大きいのって、ドイツとフランスとスペインぐらい。
あと、終戦間際までは補給線も生きてたし。
当時の日本人の食事
アメリカ人の食事
朝鮮人の食事
小学校の給食(私立)
最近の派遣の食事
ジャガイモじゃなくてサツマ芋を重点生産していたのは何で?
汎用性はジャガの方がありそうなので
メタボリ対策に最適だな
これも北京へ行けば1500円だわな
>>258
当時の日本人にはジャガイモはなれない食材でした。
あまり好まれなかったのね。
生産されたジャガイモの大半は軍で消費されたそうな。
変わりに良く食されたのが、里芋と長芋。
ジャガイモの代わりに里芋を使うケースは良く有ったようです。
そういや昔の農業技術、調理法じゃ、今食ってる物と違うんだろうな
死んだばあちゃんが、内は百姓をしていたので、
終戦時も米にサツマイモを入れて炊いた飯を食
っていたと言っていた。でも歯を剥き出しにし
てヤミ米を摘発する警察を恨んでいたよ。
絶対に警察なんか信用するんじゃないよと、良
く言っていた。余り詳しくは語ってくれなかっ
たが、警察に摘発されて目茶苦茶に痛めつけら
れた様だ。今でも警察はパチンコ業界と裏で繋
がっていやがるしな。寄生虫めーろくなもんじゃねー
うちのジーサンに戦争の話聞くと
空襲警報が鳴ったら学校が休みになるから良かったとかロクでもない話になる
戦後すぐは関西から東京まで闇市に買出し行ったりして、大変だったみたい。
貧乏学生はご飯にソースかけて食べるのが最高の贅沢だったんだってさ。
うちのじーちゃんは戦争中によく食ったサツマイモをなつかしいって作ってた。
たいはくとか言う種類のやつ。
ふつうのサツマイモより白っぽかったけど、うまかった。
だしとかは、今よりも旨味があったかもね。
だしの素とかないし。
全部が全部農家じゃないからなぁ・・・
うちの父方のじいさんは農家やってて、貧乏で食えない人
良く食わせてやってたらしい。
今だって流通が1週間も止まれば都会は食うもんがなくなるだろ
そういや俺のじいちゃんが終戦する4年前くらいから朝鮮に住んでたらしいけど
外地は物資が豊富であまり食料に困らなかったって言ってたのを思い出した。
内地にいたころは物が色々不足して食料もだんだん手に入りにくくなってたって言ってたけど
パン屋で普通にパンがいっぱいあったのが驚いたとか言ってた。
でも終戦2年前くらいになると内地にいたころとさほどかわらなくなったんだとさ。
おいおい規制緩和、派遣解禁でお茶漬け食ってる国民もいるというのに
すごいブラックユーモアだな
でも絶対量がめちゃ少ないんだぞ
たぶんピザデブは死ぬ
我が家はいつも終戦記念日はお昼のすいとんだけだ
大学生になって初めてよそのうちでは普通にメシ食ってるって知ってショックうけた記憶がある
こういう家庭って他にいる?
田舎が戦中戦後通して比較的豊かだったのは間違いないけど、
地方に地縁のない都市生活者は戦前、戦中、戦後も生活は苦しかったはずだぞ。
まず、世界恐慌で大企業がボンボン倒れた後で仕事がない。
戦中になれば経済なんてものは実質崩壊してる。
地方と違って一日2合の配給の米で生活するしかないから、
金があっても苦しい。金を払っても赤の他人の農家にボられるから、
財産がどんどん減っていく。そして終戦後の惨状。
田舎の方の子孫達は自分たちの環境とそういう人らの苦労を混同しない方がいい。
現代で言えば非常に健康によさそうだな
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そりゃ戦争で一番苦労した激戦区の人間は戦闘や空爆でバタバタ死んでって
戦後は戦闘に縁が薄かったド田舎の人間の割合が大きくなるんだから、話が食い違うのは仕方ない
2
ttp://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08c.html#food
農村で困らなかったというのはマクロ的な話でやっぱり食料事情は悪化していた模様
3
戦後すぐに東京地裁かどこかの判事が餓死したって事件があっただろ
4
>>251は朝鮮人の飯がうまそうだな
案外いいもん食ってるんだな
5
俺の常食よりまともな件
6
チーズと小芋定食はネタ画像だぞ
本物はラクレットっていう高級チーズを使った定食
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一汁一菜以下の暮らししてるわ
8
一汁一菜以下の暮らししてるわ
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