母さんが死んだ。
2008.06.24 |Category …人生
母さんが死んだ。
46歳だった。
29日まで元気だったのに。急に逝ってしまった
30日の朝いつものよう御飯作って母さん「飯できたぞ」と
でもいくら呼んでも返事はなかった。いつも文句をいいながらも絶対起きてくるのに
おかしいなと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなっていた。
46歳だった。
29日まで元気だったのに。急に逝ってしまった
30日の朝いつものよう御飯作って母さん「飯できたぞ」と
でもいくら呼んでも返事はなかった。いつも文句をいいながらも絶対起きてくるのに
おかしいなと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなっていた。
つづきを読む
>>1
踏ん張りどころだぞ。しっかりしろ
踏ん張りどころだぞ。しっかりしろ
どうすればいいんだ。
俺は一人になってしまった
俺は一人になってしまった
絶句
糞スレ立ててすいません
死んでお詫びいたします
死んでお詫びいたします
今年の冬に旅行を予定してたのに。
親孝行できずに母さん・・・
親孝行できずに母さん・・・
悲しいでも誰にも相談できないから。
ここでなくしかないんだ。
すまない
ここでなくしかないんだ。
すまない
わかった。今叫ぶよ。
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
悲しいな。泣いていい。ここでだけな。荼毘にふした後また泣いていい。
それまでは踏ん張れ。がんがれ。俺はひどい奴だな。だがいう。
がんがれ
それまでは踏ん張れ。がんがれ。俺はひどい奴だな。だがいう。
がんがれ
痛みも全部ひっくるめて忘れんなよ。想い出全部お前のもんだ。
お前が覚えてる限り続くんだ。別れの痛みは経年劣化させていい。
だけど想い出すべてお前がしっかり全部掴んで抱えて、放すな。
畜生モニターが見えねぇ
お前が覚えてる限り続くんだ。別れの痛みは経年劣化させていい。
だけど想い出すべてお前がしっかり全部掴んで抱えて、放すな。
畜生モニターが見えねぇ
一人ってさびしいよ。
飯なんて一人だし母さんがいたころはもっとあったかたのに。
飯なんて一人だし母さんがいたころはもっとあったかたのに。
一人になっちゃったのは一時だ。今だってお前は一人じゃねぇ。
すくなくとも俺がこうしている。一人じゃねぇぞ?
しっかりしろ。ご飯食べて二の足でしっかり立って進め。
すくなくとも俺がこうしている。一人じゃねぇぞ?
しっかりしろ。ご飯食べて二の足でしっかり立って進め。
こうやって書きながらも涙がとまんない
飯食えないよだめだ母さん・・・
飯食えないよだめだ母さん・・・
>>24
それでカーチャンが喜ぶと思うか?どれだけ未練を残したと思う?
お前が幸せになって初めて親孝行になるんだ。
悔しいだろう。切ないだろう。だからこそ、幸せにならなきゃダメだよ。
今日はいいや。だけど明日はご飯食べよう。
それでカーチャンが喜ぶと思うか?どれだけ未練を残したと思う?
お前が幸せになって初めて親孝行になるんだ。
悔しいだろう。切ないだろう。だからこそ、幸せにならなきゃダメだよ。
今日はいいや。だけど明日はご飯食べよう。
幸せ・・・母さんはどうだったんだろう。
俺と居て幸せだったのか
俺と居て幸せだったのか
皆さんは、幸せですか。僕は、涙でいっぱいです。
>31
母さんは
おまえに幸せになってもらいたい
と思っているよ。
いっぱい泣け。
母さんは
おまえに幸せになってもらいたい
と思っているよ。
いっぱい泣け。
でも今日だけは、泣いてもいいんですよね・・
我慢できません。僕が生きていた中で、母さんが居ないときなんてなっかた。
僕は、この先誰を頼りにしていき居ていけばいいんですか・・・
涙がとまらないいんです・・・・・
我慢できません。僕が生きていた中で、母さんが居ないときなんてなっかた。
僕は、この先誰を頼りにしていき居ていけばいいんですか・・・
涙がとまらないいんです・・・・・
>>39
俺は夜は弱いが居られるだけはいよう。一人じゃないぜ?
しっかりしろ。潰されるなよ。お願いなんていうな。気にすんな。笑えるまで付き合うぞ。
2を踏んだ以上俺は逃げないし見捨てない。心配すんな
俺は夜は弱いが居られるだけはいよう。一人じゃないぜ?
しっかりしろ。潰されるなよ。お願いなんていうな。気にすんな。笑えるまで付き合うぞ。
2を踏んだ以上俺は逃げないし見捨てない。心配すんな
僕は明日何をすればいいんですか・・・
いつもみたいに、「母さん御飯できたよ」って言えばいいんですか・・
いつもみたいに母さんただいまっていえばいいんですか・・
やっぱり、怖いんですね・・独りって・・
いつもみたいに、「母さん御飯できたよ」って言えばいいんですか・・
いつもみたいに母さんただいまっていえばいいんですか・・
やっぱり、怖いんですね・・独りって・・
俺の父さんは俺が5歳のときなくなりました。でも、母さんが今まで
ここまで育ててくれたのに43もって生きてほしかった。
俺だって、もっと母さんと喧嘩したいし、話したい。
やっと、俺も仕事にはいって親孝行するjはずだったのに・・
ここまで育ててくれたのに43もって生きてほしかった。
俺だって、もっと母さんと喧嘩したいし、話したい。
やっと、俺も仕事にはいって親孝行するjはずだったのに・・
もうだめだ・・・・・・・・・
母さん~~~~~~~~~~~~~
大好きだ~~~~~~~~~~
涙が・・
母さん
母さん~~~~~~~~~~~~~
大好きだ~~~~~~~~~~
涙が・・
母さん
しっかりしろ!!
最後の親孝行だ。ちゃんと見送ってやれ。
おまいの話聞いてたら親父亡くした時の事
思い出した。
ちくしょう涙がとまらねえ・・・。
最後の親孝行だ。ちゃんと見送ってやれ。
おまいの話聞いてたら親父亡くした時の事
思い出した。
ちくしょう涙がとまらねえ・・・。
なんで、親ってこんなに・・人間ってなんで死ぬんだよ。
母さん夢に出てきてほしい・・
今は俺じゃなく僕でいきます・・
皆さんはいままでで一番悲しかったことはなんですか・・・
僕は、今です・。・・大好きだった母さんの死。。。
皆さんはいままでで一番悲しかったことはなんですか・・・
僕は、今です・。・・大好きだった母さんの死。。。
>>67
俺は親父が死んだ時だった。
怖かった親父
俺の目標だった親父
実は照れ屋だった親父
表面には出さないが俺の事を誰よりも
心配してくれた親父
俺が大好きだった親父
神様を恨んだよ
なんで俺じゃなくて親父なんだって
俺は親父が死んだ時だった。
怖かった親父
俺の目標だった親父
実は照れ屋だった親父
表面には出さないが俺の事を誰よりも
心配してくれた親父
俺が大好きだった親父
神様を恨んだよ
なんで俺じゃなくて親父なんだって
72 名前: Mr.名無しさん □ 投稿日: 2005/10/01(土) 23:45:09
このスレに似た。。。同じですかね・・みたらまた涙があふれてきましたよ・・
猫か犬飼ってみようかな・・・母さんのこと忘れるなんて絶対できないと思うけど。・・・
このスレに似た。。。同じですかね・・みたらまた涙があふれてきましたよ・・
猫か犬飼ってみようかな・・・母さんのこと忘れるなんて絶対できないと思うけど。・・・
随分と人が増えたな。今日は君の為に朝まで泣こう。
みんなありがとう・・・フラッシュ見ましたか・・
同じ・・気持ちなんですね・・母さん父さん二人なくしたった一人
人は、それぞれ違うけどやっぱり気持ちはつながっているところも
あると思います。。
http://www.chironoworks.com/yuell/flash/mother.swf
同じ・・気持ちなんですね・・母さん父さん二人なくしたった一人
人は、それぞれ違うけどやっぱり気持ちはつながっているところも
あると思います。。
http://www.chironoworks.com/yuell/flash/mother.swf
はぁ・・急に明日のことが・・・。大変ですよ・・
葬式は大泣きですね・・・・・。
葬式は大泣きですね・・・・・。
>>88
実際は泣いてる暇ないぐらい忙しいぞ。
特におまいさんの場合喪主になるだろうから
焼香順決めるだの来てくれた人に挨拶するだの
今だけは勘弁してくれって事が目白押し。
実際は泣いてる暇ないぐらい忙しいぞ。
特におまいさんの場合喪主になるだろうから
焼香順決めるだの来てくれた人に挨拶するだの
今だけは勘弁してくれって事が目白押し。
…お母さんとの思い出を、失くさないでくださいね。
母さんとの思い出・・・。たくさんあったなぁ・・・
書き込めないほど、言葉でもいえないほど・・・
書き込めないほど、言葉でもいえないほど・・・
お母さんとの思い出を忘れない事…失くさない事。
幸せだった事…これからも幸せになるって思い。大事にね。
幸せだった事…これからも幸せになるって思い。大事にね。
明日もここ来ます・・・。葬式が終わった後・・・・
今日お通夜だったのか。
はい・・・・・・・
俺らの心配なんかすんなよ。いつでもみんなお前のこと見守っているさ。
待ってるぜ、お前が立派にお母さんのお葬式をあげるのを。じゃあな。頑張れよ。
待ってるぜ、お前が立派にお母さんのお葬式をあげるのを。じゃあな。頑張れよ。
ありがとうございます・・寝ます。。・・・
>>103
おやすみ 乙
おやすみ 乙
今、葬式(通夜)ひと段落しました・・
会場からです・・・。
今日は、本当につらかった・・・・
会場からです・・・。
今日は、本当につらかった・・・・
遺体の前で僕は・・「母さんって何回も叫んだ・・・」
でも、反応はない・・・母さん
母さんにもっと話がしたい・・・
でも、反応はない・・・母さん
母さんにもっと話がしたい・・・
やっぱり涙を止めることできいなかった・・
親族の皆さんは、あまり泣いていなかった・・
なんでだ・・なんでなかずに居られるんだ・・
僕は、泣くことしかできなかった・・
親族の皆さんは、あまり泣いていなかった・・
なんでだ・・なんでなかずに居られるんだ・・
僕は、泣くことしかできなかった・・
今ここにだれもいなくても僕はいいたい・・
母さんありがとう・・葬式のあとにここ来るのは変だけど・
友だちや親族の人に泣きつくことはできないし・・
ここしか・・・
母さんありがとう・・葬式のあとにここ来るのは変だけど・
友だちや親族の人に泣きつくことはできないし・・
ここしか・・・
涙
今日は枯れるまでないたでもまだ出てくる・・・
こんなに泣いたの初めてだ・・
今日は枯れるまでないたでもまだ出てくる・・・
こんなに泣いたの初めてだ・・
誰か居ますか・・・
今日の仕事終わりました・・・・
上司にお前明日休めって言われました。・・・
今日一日鬱でした・・・・
今日の仕事終わりました・・・・
上司にお前明日休めって言われました。・・・
今日一日鬱でした・・・・
>>177
乙 ゆっくり休め。
乙 ゆっくり休め。
すべてのひとに同じ明日はやってくる
もう会えなくても 別れがこれからだとしても
今自分にできること 一つ一つ乗り越えていこう
すべてはあのひとの笑顔のために 幸せのために
その体で その心で
誇れるあなたに誓って 誇れる自分に変わっていこう
もう会えなくても 別れがこれからだとしても
今自分にできること 一つ一つ乗り越えていこう
すべてはあのひとの笑顔のために 幸せのために
その体で その心で
誇れるあなたに誓って 誇れる自分に変わっていこう
わたしももう1度「ありがとう」ってお母さんに言いたいな。
ちゃんと生きてるうちに、言えばよかった。
もっともっと話すればよかった。
もっと傍にいてあげればよかった。
産んでくれてありがとうも言えてなかった。
ちゃんと生きてるうちに、言えばよかった。
もっともっと話すればよかった。
もっと傍にいてあげればよかった。
産んでくれてありがとうも言えてなかった。
父は46歳です。
去年の5月11日から植物状態です。
2,3日前から咳がひどく、「風邪かなー」なんてもらしていたのですが
体が丈夫なのが取り得だったので特に母も私も気に止めず
風邪薬を渡すだけでした。
「いってきまーす」
私はそのとき化粧をしていて、父の元気な声だけ聞いて
最後の元気な姿を見れませんでした。
その日、帰りの電車で母から電話が入りました。
「お父さんが倒れた」
急いで母と叔父と出張先へ向かいました。
原因は低酸素脳症。急性で喉が腫れ上がり呼吸困難に陥って
頭に酸素が回らなくなって意識を失ってしまう病気です。
心無い医者は「お宅の旦那さん、もうアレ意識戻らないから」
などと母は言われ隣で聞いていたあたしは刺してやろうかと
思ったくらいです。つまり一生このまま(植物状態)。
それでも優しい人、父の人徳からか今、私とは母たくさんの人に
助けられて生きています。
あれから1年。母は毎日病院に通って父に話しかけています。
私も学校帰りに毎日通っています。
勿論反応はありません。
反抗期だったからおとんと話す事なんてほとんどなくなってたけど、
小さいころを思い出すと遊んでもらった記憶とか
可愛がってもらった記憶が鮮明に思い出すと
涙がいまだに止まりません。
先日母が私に「お母さんはこんなんになってもお父さんと結婚して
あんたを生んで幸せだよ。人生、やり直せても
またお父さんと結婚したい。」
と話してくれました。あたしも例えたった17年の短い人生やり直せても
また二人の子供に生まれたい、と思いました。
拙い文章だし、何が言いたいかもいまいちわからないかと思うけど
お母さんの事時々思い出してあげて、1が幸せになる事が
一番の親孝行だと思います。あと、あなたがどれだけ一人だと
思っていても、周りの人を大事にしてあげて。
去年の5月11日から植物状態です。
2,3日前から咳がひどく、「風邪かなー」なんてもらしていたのですが
体が丈夫なのが取り得だったので特に母も私も気に止めず
風邪薬を渡すだけでした。
「いってきまーす」
私はそのとき化粧をしていて、父の元気な声だけ聞いて
最後の元気な姿を見れませんでした。
その日、帰りの電車で母から電話が入りました。
「お父さんが倒れた」
急いで母と叔父と出張先へ向かいました。
原因は低酸素脳症。急性で喉が腫れ上がり呼吸困難に陥って
頭に酸素が回らなくなって意識を失ってしまう病気です。
心無い医者は「お宅の旦那さん、もうアレ意識戻らないから」
などと母は言われ隣で聞いていたあたしは刺してやろうかと
思ったくらいです。つまり一生このまま(植物状態)。
それでも優しい人、父の人徳からか今、私とは母たくさんの人に
助けられて生きています。
あれから1年。母は毎日病院に通って父に話しかけています。
私も学校帰りに毎日通っています。
勿論反応はありません。
反抗期だったからおとんと話す事なんてほとんどなくなってたけど、
小さいころを思い出すと遊んでもらった記憶とか
可愛がってもらった記憶が鮮明に思い出すと
涙がいまだに止まりません。
先日母が私に「お母さんはこんなんになってもお父さんと結婚して
あんたを生んで幸せだよ。人生、やり直せても
またお父さんと結婚したい。」
と話してくれました。あたしも例えたった17年の短い人生やり直せても
また二人の子供に生まれたい、と思いました。
拙い文章だし、何が言いたいかもいまいちわからないかと思うけど
お母さんの事時々思い出してあげて、1が幸せになる事が
一番の親孝行だと思います。あと、あなたがどれだけ一人だと
思っていても、周りの人を大事にしてあげて。
二年ほど前の話。
うちの家族は父さんが早くに死に、俺と兄さん、それに母さんの三人。
4つ上の兄さんは大阪で働いていて、
地元の実家にいるのは、俺と母さんの二人だけだった。
母さんは女手ひとつで俺と兄さんを大学に行かせてくれた。
無理し過ぎだと分かるほど、母さんは働いてた。
「自分の親が私を必死に育ててくれたんだから、
私も同じくらいの事はしなきゃ。」
母さんはそう言っていた。
それでもずっと元気だった母さんだが、ある頃から数ヶ月に渡って、
だんだんと様子が変わってきていた。あまり食事を取らないし、咳も多い。
平気だと言っていたが、夜も咳き込んで眠れてない日があるみたいだった。
最初こそ風邪がこじれているだけだと思っていたが、
あまりに長く続くので、それとは別の原因があると思うようになった。
ある時に、廊下でヒザをついて咳き込んでいる姿を見て、さすがにまずいと思った俺は
「本当に大丈夫だから」という母さんを半ば無理矢理、病院に連れて行った。
今思えば、母さんは自分の身体がどうなっているのか、分かっていたのかも知れない。
うちの家族は父さんが早くに死に、俺と兄さん、それに母さんの三人。
4つ上の兄さんは大阪で働いていて、
地元の実家にいるのは、俺と母さんの二人だけだった。
母さんは女手ひとつで俺と兄さんを大学に行かせてくれた。
無理し過ぎだと分かるほど、母さんは働いてた。
「自分の親が私を必死に育ててくれたんだから、
私も同じくらいの事はしなきゃ。」
母さんはそう言っていた。
それでもずっと元気だった母さんだが、ある頃から数ヶ月に渡って、
だんだんと様子が変わってきていた。あまり食事を取らないし、咳も多い。
平気だと言っていたが、夜も咳き込んで眠れてない日があるみたいだった。
最初こそ風邪がこじれているだけだと思っていたが、
あまりに長く続くので、それとは別の原因があると思うようになった。
ある時に、廊下でヒザをついて咳き込んでいる姿を見て、さすがにまずいと思った俺は
「本当に大丈夫だから」という母さんを半ば無理矢理、病院に連れて行った。
今思えば、母さんは自分の身体がどうなっているのか、分かっていたのかも知れない。
病院に行き、母さんの近況を説明すると、
「レントゲンを撮って見ましょう」という事になった。
検査の後すぐに、診察室に呼ばれ、レントゲンを見せてもらった。
いくつかのレントゲンが貼ってあったが、俺はすぐに違和感に気がついた。
左の肺に、右の肺には無い拳くらいの黒い影がある。
これの詳細が分からなくても、医者の顔が深刻なのは分かった。
ただただ、思い過ごしである事を祈った。
でも、あっさりと医者の口から語られたのは、思い過ごしとは程遠い内容だった。
「ガンです。ステージもかなり進んでいます。」
「状況は、良くありません。」
ステージとか何とか知らないが、突きつけられた現実は、
俺の母さんがガンである事。単純に、そういう事だった。
心底、血の気が引いた。
母さんは「そうですか」と言ったきり、後は医者の説明に頷くだけだった。
何かが怖くて、母さんの顔を直視する事はできなかった。
こんな事、知りたくなかった。
病院に連れてきた事を後悔するくらいだった。
「レントゲンを撮って見ましょう」という事になった。
検査の後すぐに、診察室に呼ばれ、レントゲンを見せてもらった。
いくつかのレントゲンが貼ってあったが、俺はすぐに違和感に気がついた。
左の肺に、右の肺には無い拳くらいの黒い影がある。
これの詳細が分からなくても、医者の顔が深刻なのは分かった。
ただただ、思い過ごしである事を祈った。
でも、あっさりと医者の口から語られたのは、思い過ごしとは程遠い内容だった。
「ガンです。ステージもかなり進んでいます。」
「状況は、良くありません。」
ステージとか何とか知らないが、突きつけられた現実は、
俺の母さんがガンである事。単純に、そういう事だった。
心底、血の気が引いた。
母さんは「そうですか」と言ったきり、後は医者の説明に頷くだけだった。
何かが怖くて、母さんの顔を直視する事はできなかった。
こんな事、知りたくなかった。
病院に連れてきた事を後悔するくらいだった。
転移の可能性があるから、検査の為に入院するように言われた。検査入院は10日後だった。
今すぐ検査してくれと詰め寄ったが、準備があると断られた。
家に帰って、兄さんに電話した。
「どうした?」と、兄さんの声を聞いた途端、また涙が溢れてきた。
「母さん、ガンだって」
泣いてしまって言葉が出なかった。
やっと声をふりしぼって伝えられた事は、これだけだった。
2日後に兄さんが服用したら末期ガンが治ったというワクチンの資料、
それにガンセンターの資料を持って帰って来た。 ワクチンはもう注文したと言っていた。
かなりの高額だったが、俺ももちろん文句など無かった。
母さんは兄さんの買ってきたワクチンに喜ばなかった。
「こんな弱みに付け込んだような薬を買わないで。」
「お医者さんの出す薬を飲んでいたら治るから」
「あなたのために貯金してたのよ。あなたの為に使って。」
そう言っていた。
兄さんは「母さんの命の為に使う事が、俺の為だ」と怒っていた。
兄さんの泣いてる顔を見たのは、初めてだった。
今すぐ検査してくれと詰め寄ったが、準備があると断られた。
家に帰って、兄さんに電話した。
「どうした?」と、兄さんの声を聞いた途端、また涙が溢れてきた。
「母さん、ガンだって」
泣いてしまって言葉が出なかった。
やっと声をふりしぼって伝えられた事は、これだけだった。
2日後に兄さんが服用したら末期ガンが治ったというワクチンの資料、
それにガンセンターの資料を持って帰って来た。 ワクチンはもう注文したと言っていた。
かなりの高額だったが、俺ももちろん文句など無かった。
母さんは兄さんの買ってきたワクチンに喜ばなかった。
「こんな弱みに付け込んだような薬を買わないで。」
「お医者さんの出す薬を飲んでいたら治るから」
「あなたのために貯金してたのよ。あなたの為に使って。」
そう言っていた。
兄さんは「母さんの命の為に使う事が、俺の為だ」と怒っていた。
兄さんの泣いてる顔を見たのは、初めてだった。
検査入院の結果は、覚悟していたものより悪かった。
もしかしたら、という期待は完全に打ち消された。
悪性の末期ガン。身体の所々に、小さいながらも転移している。
外科手術もできない。抗ガン剤も、効果は期待できない。
医者の「諦めないでください」という言葉が、
もうどうしようもない事を俺に分からせた。
思えば、母方のおばあちゃんもガンで死んでいる。
お見舞いに行ったが、おばあちゃんは見る影もなくやつれ、笑顔すら怖かった。
そうして、だたの1回しかお見舞いには行かなかった。
だが、母さんはいつもお見舞いに行っていた。
俺はまだ幼く、何故あんなにも見るに堪えない人を、
お見舞いに行くのか、と不思議にさえ思っていた。
俺が同じ状況になって、やっと分かった。
どんなにやつれたって、見るに堪えなくたって、
母さんの見舞いを止める事なんてできない。
少しでも母さんの調子が良さそうな日があると、
このまま元気になってくれるんじゃないかと小さな小さな期待を抱いていた。
もしかしたら、という期待は完全に打ち消された。
悪性の末期ガン。身体の所々に、小さいながらも転移している。
外科手術もできない。抗ガン剤も、効果は期待できない。
医者の「諦めないでください」という言葉が、
もうどうしようもない事を俺に分からせた。
思えば、母方のおばあちゃんもガンで死んでいる。
お見舞いに行ったが、おばあちゃんは見る影もなくやつれ、笑顔すら怖かった。
そうして、だたの1回しかお見舞いには行かなかった。
だが、母さんはいつもお見舞いに行っていた。
俺はまだ幼く、何故あんなにも見るに堪えない人を、
お見舞いに行くのか、と不思議にさえ思っていた。
俺が同じ状況になって、やっと分かった。
どんなにやつれたって、見るに堪えなくたって、
母さんの見舞いを止める事なんてできない。
少しでも母さんの調子が良さそうな日があると、
このまま元気になってくれるんじゃないかと小さな小さな期待を抱いていた。
だが、すぐに、母さんはベッドから起きる事すらできなくなった。
日に日に、弱っていく母さん。本当に毎日毎日、通った。
母さんと過ごせる日々が、もう残りわずかだと分かっていた。
だんだんと、まともに会話もできなくなってきた。
肺にガンがあるせいか、話す事が本当に辛そうだった。
だから俺は母さんの傍にいるだけで、何も話さない事もあった。
ただ傍にいるだけだが、それで少しでも母さんの励みになればと思ったからだ。
ある日、母さんはかすれた声で俺に言った。
「ここの所ずっと、悲しい顔ばかり。」
「笑って。お願い、笑った顔がみたいの。」
無理だった。
もうすぐ母さんはこの世からいなくなってしまう。
それなのにどうして笑えるんだ。
母さんの言葉に、涙が止まらなかった。
母さんは微笑んで、俺にありがとうと言った。
母さんの最後のお願いすら叶えてあげられなかったのに。
母さんは微笑みながら、泣いていた。
日に日に、弱っていく母さん。本当に毎日毎日、通った。
母さんと過ごせる日々が、もう残りわずかだと分かっていた。
だんだんと、まともに会話もできなくなってきた。
肺にガンがあるせいか、話す事が本当に辛そうだった。
だから俺は母さんの傍にいるだけで、何も話さない事もあった。
ただ傍にいるだけだが、それで少しでも母さんの励みになればと思ったからだ。
ある日、母さんはかすれた声で俺に言った。
「ここの所ずっと、悲しい顔ばかり。」
「笑って。お願い、笑った顔がみたいの。」
無理だった。
もうすぐ母さんはこの世からいなくなってしまう。
それなのにどうして笑えるんだ。
母さんの言葉に、涙が止まらなかった。
母さんは微笑んで、俺にありがとうと言った。
母さんの最後のお願いすら叶えてあげられなかったのに。
母さんは微笑みながら、泣いていた。
それから数日して、母さんは昏睡状態になった。
無理だと分かっていたけど、
ずっと助かってくれ、助かってくれと祈り続けた。
もう一度だけでいい、話がしたい。
最後なんて嫌だ、嫌だ、嫌だ。
これほど祈った事なんて、後にも先にもこの時くらいのものだ。
だけど俺の祈りなんて届かなかった。
母さんは、そのまま息を引き取った。
心の底から、人の命の儚さを、大切さを知った。
葬式の時も、ずっと笑顔なんてできなかったけど、
二年経ってやっと、母さんの最後のお願いを叶えられると思う。
最後に母さんは俺にありがとうと言ったけど、
俺は泣いてるだけで何も言えなかったね。
今更だけど、天国の母さんに送ります。
ありがとう。
無理だと分かっていたけど、
ずっと助かってくれ、助かってくれと祈り続けた。
もう一度だけでいい、話がしたい。
最後なんて嫌だ、嫌だ、嫌だ。
これほど祈った事なんて、後にも先にもこの時くらいのものだ。
だけど俺の祈りなんて届かなかった。
母さんは、そのまま息を引き取った。
心の底から、人の命の儚さを、大切さを知った。
葬式の時も、ずっと笑顔なんてできなかったけど、
二年経ってやっと、母さんの最後のお願いを叶えられると思う。
最後に母さんは俺にありがとうと言ったけど、
俺は泣いてるだけで何も言えなかったね。
今更だけど、天国の母さんに送ります。
ありがとう。
何だよココは・・・・・目から水が垂れてくる。
俺の話もいいか?大した事ないが。
17歳になって一月もたたないころ、祝日だったな、
そう何故かばあちゃんちに行こうと思ったんだ。2~4年ぶりぐらいに。ホントにふと、だ。
でも日が近くなってからダルい・・・・・って思いと、学校で停学食らった事もあり行かなかった。
そしてその数週間後にばあちゃんは入院した。癌だった。
お見舞いにも一回行ったが寝たきりで言葉は交わせなかった。
俺は何度か、ばあちゃんばあちゃんと呼んで弱々しいながらも俺の手を握って貰えた・・・・・
その時、告白済みの好きな人も付いてきてもらえていたのでばあちゃんに見てもらった。
年明けにばあちゃんは死んだ。始業式の朝オカンから聞いて泣いた。
帰ってからも風呂の中で泣いた。死は重い・・・・・俺が生きてから初めての身内の死。
後悔した。何故あの祝日にばあちゃんちに行ってばあちゃんの笑顔と声を聞かなかったのか。
今でも後悔している。
俺の話もいいか?大した事ないが。
17歳になって一月もたたないころ、祝日だったな、
そう何故かばあちゃんちに行こうと思ったんだ。2~4年ぶりぐらいに。ホントにふと、だ。
でも日が近くなってからダルい・・・・・って思いと、学校で停学食らった事もあり行かなかった。
そしてその数週間後にばあちゃんは入院した。癌だった。
お見舞いにも一回行ったが寝たきりで言葉は交わせなかった。
俺は何度か、ばあちゃんばあちゃんと呼んで弱々しいながらも俺の手を握って貰えた・・・・・
その時、告白済みの好きな人も付いてきてもらえていたのでばあちゃんに見てもらった。
年明けにばあちゃんは死んだ。始業式の朝オカンから聞いて泣いた。
帰ってからも風呂の中で泣いた。死は重い・・・・・俺が生きてから初めての身内の死。
後悔した。何故あの祝日にばあちゃんちに行ってばあちゃんの笑顔と声を聞かなかったのか。
今でも後悔している。
親が先に死んでしまうのは
当然のこと、と俺は覚悟をきめている。
就職してまじめに働いて心配かけている
つもりはない。
特に親孝行してないが親不孝もしてないはずだ。
こんなのは不謹慎な考えかもしれないが
親が死ぬときは夫婦そろって
死んでほしいと思っている。
片方だけ残ったらかわいそうだからね。
当然のこと、と俺は覚悟をきめている。
就職してまじめに働いて心配かけている
つもりはない。
特に親孝行してないが親不孝もしてないはずだ。
こんなのは不謹慎な考えかもしれないが
親が死ぬときは夫婦そろって
死んでほしいと思っている。
片方だけ残ったらかわいそうだからね。
ウチの母も昨年胃がんで天へ召されました。62歳。
働き者でした。グータラ父の借金の返済のことばかり考えていて、
自分のことは二の次でした。
「お母さん体が丈夫なだけがとりえなのよ」と言っていたのに、
なんとなく痩せてきて、食べ物がのどを通らない症状が出てきてから
総合病院へ行きました。
そこで余命半年の宣告。
余命宣告のことは母には言えませんでした。
入退院を繰り返し、宣告から9ヵ月後、母は逝ってしまいました。
今まで強く、たくましい母と思っていたのに、無くなる数日前からは
「ずっといてね、家に帰らないでね」と言うようになりました。
母の体が健康なときに、もっと助けてあげればよかった。
無くなってから半年後叔父さんから(母の兄)電話があり、
「昨日夢かよくわからないんだけど、居間のコタツで○子(母の名)が
号泣してたんだよ」と。
何か言い残したことがあったのでしょうか。その日は母の父(亡くなっています)
の命日、そして私の子供の2歳の誕生日でした。
働き者でした。グータラ父の借金の返済のことばかり考えていて、
自分のことは二の次でした。
「お母さん体が丈夫なだけがとりえなのよ」と言っていたのに、
なんとなく痩せてきて、食べ物がのどを通らない症状が出てきてから
総合病院へ行きました。
そこで余命半年の宣告。
余命宣告のことは母には言えませんでした。
入退院を繰り返し、宣告から9ヵ月後、母は逝ってしまいました。
今まで強く、たくましい母と思っていたのに、無くなる数日前からは
「ずっといてね、家に帰らないでね」と言うようになりました。
母の体が健康なときに、もっと助けてあげればよかった。
無くなってから半年後叔父さんから(母の兄)電話があり、
「昨日夢かよくわからないんだけど、居間のコタツで○子(母の名)が
号泣してたんだよ」と。
何か言い残したことがあったのでしょうか。その日は母の父(亡くなっています)
の命日、そして私の子供の2歳の誕生日でした。
人間色々あるもんだ。
ソロツーリングに行ってきた。
土曜に仕事終わってから、
フェリーに乗って千葉に渡り日曜の夕方には帰宅する忙しい1泊旅行だけど、
バイクを流しながら見る自然はとても綺麗で、心が洗われるような感じだった。
帰宅後におみやげを母に渡したら、とても喜んでた。
その母が今月初めに、脳幹出血して出血が止まらず、
たった2日で亡くなった。意識も戻らず亡くなった。
というか、1日も経たず自発的に呼吸が出来なくなり、
その後心臓が持たなくなり止まってしまった。
人とは、本当に簡単に死んでしまうものなのだと、改めて思った。
今思えば一緒に車で行けば良かったと後悔してる・・・
「後悔先に立たず」とはよく言ったものだ。
喪主を務め、忙しく物事を進めているから未だ実感が湧かずにいるからいいのかもれないが、
今後に母が亡くなった実感が湧いたらどうなるのだろうと思う。
700万の借金をして、無くなった後も100万の借金を残した母親は
良い親と言えないかもしれないが、やはり親を失うのは悲しいこと。
倒れた時に助けてやれなかった悔しさだけが心に突き刺さるように残る・・・
何かしてやりたかったが焦りながらも救急車を呼ぶことしか出来なかった。
最後に俺の名前を呼び、叫んだ声が一生俺の耳に残る事だろう・・・
着物や宝石で母が貯め込んだ700万の借金は俺と姉が払った。
俺が右腕骨折入院中に打ち明けられて、ビックリしながらも3年かかって
姉と協力して払ったのだけど、、
母に「二度とカードやローン使うな」と言っていたにも関わらず
亡くなってみるとクレジット貯めて宝石も買ってた、それ以前にも少し借金が残ってる・・・
60過ぎたのだから年金もらえと言っていたのに貰って無く、
仕事で無理して血圧高くなって手術出来ない脳幹出血して死んじまった。
借金はいかにも母親らしいと思って今は覚悟を決めてるが、
離婚したオヤジが兄が入ってる墓に入れたくないようなので、
俺が墓を買うしか無くなってるのがちょっと辛い・・・
香典に10万入れてくれたり、色々と面倒を見てくれる
姉の会社の金持ち社長に感謝しつつ、社長さんに金を借りるしか無さそうな状態だけど、
人の繋がりに本当に感謝して役所の当選を祈り墓地&墓石代300万を貯める決心をしてる。
借金は今日車売ってきたのでどうにかなりそうだが、
俺が先月組んだXL1200Sのローンが残ってたりするw('A`)
バイクと俺と猫一匹と唯一の母親の財産の家。寂しくなっちまった・・・
ソロツーリングに行ってきた。
土曜に仕事終わってから、
フェリーに乗って千葉に渡り日曜の夕方には帰宅する忙しい1泊旅行だけど、
バイクを流しながら見る自然はとても綺麗で、心が洗われるような感じだった。
帰宅後におみやげを母に渡したら、とても喜んでた。
その母が今月初めに、脳幹出血して出血が止まらず、
たった2日で亡くなった。意識も戻らず亡くなった。
というか、1日も経たず自発的に呼吸が出来なくなり、
その後心臓が持たなくなり止まってしまった。
人とは、本当に簡単に死んでしまうものなのだと、改めて思った。
今思えば一緒に車で行けば良かったと後悔してる・・・
「後悔先に立たず」とはよく言ったものだ。
喪主を務め、忙しく物事を進めているから未だ実感が湧かずにいるからいいのかもれないが、
今後に母が亡くなった実感が湧いたらどうなるのだろうと思う。
700万の借金をして、無くなった後も100万の借金を残した母親は
良い親と言えないかもしれないが、やはり親を失うのは悲しいこと。
倒れた時に助けてやれなかった悔しさだけが心に突き刺さるように残る・・・
何かしてやりたかったが焦りながらも救急車を呼ぶことしか出来なかった。
最後に俺の名前を呼び、叫んだ声が一生俺の耳に残る事だろう・・・
着物や宝石で母が貯め込んだ700万の借金は俺と姉が払った。
俺が右腕骨折入院中に打ち明けられて、ビックリしながらも3年かかって
姉と協力して払ったのだけど、、
母に「二度とカードやローン使うな」と言っていたにも関わらず
亡くなってみるとクレジット貯めて宝石も買ってた、それ以前にも少し借金が残ってる・・・
60過ぎたのだから年金もらえと言っていたのに貰って無く、
仕事で無理して血圧高くなって手術出来ない脳幹出血して死んじまった。
借金はいかにも母親らしいと思って今は覚悟を決めてるが、
離婚したオヤジが兄が入ってる墓に入れたくないようなので、
俺が墓を買うしか無くなってるのがちょっと辛い・・・
香典に10万入れてくれたり、色々と面倒を見てくれる
姉の会社の金持ち社長に感謝しつつ、社長さんに金を借りるしか無さそうな状態だけど、
人の繋がりに本当に感謝して役所の当選を祈り墓地&墓石代300万を貯める決心をしてる。
借金は今日車売ってきたのでどうにかなりそうだが、
俺が先月組んだXL1200Sのローンが残ってたりするw('A`)
バイクと俺と猫一匹と唯一の母親の財産の家。寂しくなっちまった・・・
私も祖母を亡くした。でも、不思議と涙は出なかった・・・
もう放心状態で。でも葬式の時は思い切り泣きました。このスレを読んでいて
また祖母のことを思い出して涙が出ました。やっぱり人が死ぬって悲しいね。
最近は夢にも祖母は出てこなくなっちゃった・・・。夢でもいいから会いたいなぁ。
もう放心状態で。でも葬式の時は思い切り泣きました。このスレを読んでいて
また祖母のことを思い出して涙が出ました。やっぱり人が死ぬって悲しいね。
最近は夢にも祖母は出てこなくなっちゃった・・・。夢でもいいから会いたいなぁ。
母ちゃんが死んだ時、
目の前に居る人が母ちゃんとは思えなかった。
家に帰って来た母ちゃんの手をさすった。
なでなでしてくれた温かい手が、
とても懐かしくなった。
母ちゃんの骨。
こっそりひとつまみ持ち帰って庭にまいた。
母ちゃんを側に感じていたかった。
しばらく泣く事が出来なかった。
母ちゃんが死んだと頭では解っていた。
だけどまだ生きていて、いつか
「おかえり」
って言って帰ってくると思っていた。
母ちゃんが夢に出て来て言った。
「こっちには、来ちゃ駄目。」
そう言って突き放した。
涙が急に溢れてきた。
さみしい。
母ちゃんの居ない台所。
母ちゃんが、うとうと寝ていたこたつ。
母ちゃんの服が詰まったクローゼット。
母ちゃんが喜んでくれた、私の描いた母ちゃんの似顔絵。
何もかもが、母ちゃんとの思い出で溢れている。
何を見ても、どこに行っても
母ちゃんとの思い出でいっぱいだった。
涙が止まらなかった。
あれから10年。
今も母ちゃんを思って、たまに号泣してしまう。
母ちゃん、会いたいよ。
母ちゃん、また叱ってよ。
母ちゃん、頑張ったねって言って欲しいよ。
目の前に居る人が母ちゃんとは思えなかった。
家に帰って来た母ちゃんの手をさすった。
なでなでしてくれた温かい手が、
とても懐かしくなった。
母ちゃんの骨。
こっそりひとつまみ持ち帰って庭にまいた。
母ちゃんを側に感じていたかった。
しばらく泣く事が出来なかった。
母ちゃんが死んだと頭では解っていた。
だけどまだ生きていて、いつか
「おかえり」
って言って帰ってくると思っていた。
母ちゃんが夢に出て来て言った。
「こっちには、来ちゃ駄目。」
そう言って突き放した。
涙が急に溢れてきた。
さみしい。
母ちゃんの居ない台所。
母ちゃんが、うとうと寝ていたこたつ。
母ちゃんの服が詰まったクローゼット。
母ちゃんが喜んでくれた、私の描いた母ちゃんの似顔絵。
何もかもが、母ちゃんとの思い出で溢れている。
何を見ても、どこに行っても
母ちゃんとの思い出でいっぱいだった。
涙が止まらなかった。
あれから10年。
今も母ちゃんを思って、たまに号泣してしまう。
母ちゃん、会いたいよ。
母ちゃん、また叱ってよ。
母ちゃん、頑張ったねって言って欲しいよ。
いつも母親には冷たく接してました。
反抗期だ、思春期だ、と言うのを言い訳に・・・。
でも、このスレみて、ちょっとだけ、母さんに優しくなれたかもしんない。
ありがとう。
コピペだったとしても、なんらかの意味はあると思うよ。
反抗期だ、思春期だ、と言うのを言い訳に・・・。
でも、このスレみて、ちょっとだけ、母さんに優しくなれたかもしんない。
ありがとう。
コピペだったとしても、なんらかの意味はあると思うよ。
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1
死んだ母親を名スレのパクリネタに使うもんじゃないぜ。
2
幽霊だけど質問ある?っていうスレ見て少し元気になった。
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