戦国期日本と海外諸国の戦力比較
2008.05.05 |Category …歴史・戦国
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 00:49:54 ID:+9K7uthH
戦国時代の日本の軍事力は、当時の世界の大国の軍事力
と比べると、どれほどの物だったのだろうか?
つづきを読む
2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 00:51:47 ID:YikGrcSR
当時の世界最強国はスペインになるのかな?
3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 01:46:55 ID:Qnug2diI
欧州のロングボウは非常に優秀な弓で、200メートルの距離からでも2.5センチのオーク材を貫通する貫通力があった。
これは初期の銃を凌ぎ、欧州で弓が銃にとって代わるのは16世紀の終わりになってからだった。
そして当たり前のことだが、防具と武具の発展は互いに影響しあうものでね。
欧州には優秀な弓隊が存在したことによって、防具はより強固なものが用いられるようになった。
しかもランスを用いた強力な騎馬隊が存在したことで兵は散開しては、叩き潰されるようになり、だからと言って密集していれば強力な弓の獲物にされる。
このジレンマに対応するためには、結局のところ装甲はより重装備になるしかなかったが、その結果、機動力は失われたわけだ。
一方、日本の場合は鎧などの装甲が重装備になるのは、鉄砲の伝来と普及まで待たねばならなかった。
実際のところ。日本の剣術は欧米のように突くことではなく斬ることを主としているだろう。
貫通力で言えば突くことの方が良いのに斬ることを主としているのは、機動力を重視した武器だからだ。
もっとも日本でも実戦でもっとも有効とされた武器は剣ではなく槍だったけどね。
こうした日本と欧州の流れの中で何が言いたいかと言いますと、戦術もやはりそれぞれの歴史や発明あるいは風土によって違いが現れてくる。
日本の風土や歴史の中で発展した装備が欧州の戦いには通用するとは限らないのではないだろうか?
そんなことです。
4 :ななしさん:2006/10/20(金) 02:33:28 ID:6bxiktuG
火縄銃の保有量は世界一で兵士の数もおそらく欧州とは桁違いに
たくさんいたろう
でも小火器ばかりで大砲は少ないから戦争をするとヨーロッパ勢と
比べたらかなり効率が悪い軍隊じゃないかな
まあ勇敢さと数ではひけは取らないだろうけど同数の兵士で
戦争すれば大苦戦すると思う
5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 05:18:42 ID:zVfR9/lW
それな士官クラスはともかく下士官・兵卒クラスの教育基準が欧州とは格段に下がるのが痛いな。
余談だがこのスレ見てイェニチェリと平原でまともにぶつかったら
野戦の天才家康がどう対処するかと
学生時代、痛い会話してたの思い出した。
6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 11:41:32 ID:ImOi0XFG
明朝は制度上は200万人以上の兵力を有していたが、
日本の戦国期、16世紀は既に斜陽期で、兵制も内部崩壊が著しく、
万暦年間の兵力の実数は50万人程度と言われる。
文録・慶長の役で朝鮮に送ることができた兵力も10万人程度に過ぎなかった。
まあ、皇帝の絶対的な独裁権が確立していた明朝だから、
皇帝さえしっかりしていればわりと短期間で再建できたんだろうけど、
万暦帝は中国史上稀に見るほどのぐうたら皇帝だったから。
経済力に関して、長江流域を押さえている時点で、
世界一の超大国ではあっただろうけど、戦力となるとかなりおぼつかない。
7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 16:01:52 ID:W8jhHLci
兵の質 欧州>イスラム>日本>>>シナ
指揮官 日本・欧州>イスラム>>シナ
動員力 シナ>日本>イスラム>欧州 (兵糧維持なども含めて
魂 大和魂>騎士道精神>アラーの加護>>>阿片
武器 欧州>イスラム>日本>シナ
城 欧州>>イスラム>超えられない壁>日本
(シナの当時の城がどんなんだかよく知らん)
軍艦 欧州>>イスラム>>>>>シナ>日本
こんな感じ?
8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 23:58:26 ID:1BrzUmsJ
>>7
日本の城はかなり強固だろ?
9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 01:05:01 ID:2GJiNE/+
支那の城は小田原城みたいなのがデフォだろ。それより、魂の比較って何だよ。
:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 03:03:56 ID:3KC14gkz
鉄砲の集団運用は日本が初めと聞いた、
当時ヨーロッパの戦いで使われた鉄砲は部隊と部隊との間にポツポツとある程度
まあ日本が欧州以上か対等の技術だった時代もあり、抜かされた時代もあるからな。
正直難しいね。
大航海時代以前はペストで欧州の3分の1が死んで、基礎国力が破綻し、それで海外に
て構図が有るし。
貴族はそれなりに教育も士気も高いだろうが、一般市民クラスだと学問も教養も無い。
15世紀の末期ならば日本の方が上だと思う、16世紀に入ると微妙かな
12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 03:06:37 ID:XpQctme5
当時の日本の総戦力は30万くらい。
しかも、ほとんどが古参兵ばっかり。
装備も一部(海軍や大砲装備)を除けば、世界最高水準だった。
戦略がしっかりしていれば、明を落せる戦力だな。
当時としては、世界最強クラスの陸軍国といっていい。
まぁ、海軍は2流以下だけど。
13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 03:13:44 ID:3KC14gkz
後、オスマン・トルコ帝国が強ええし。
当時の日本には海戦は勝機が無いのが辛い
征服はされないが、こっちから手出しもできない
東南アジア全取りされた事からみて、戦略的には負けていると思う。
15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 12:17:58 ID:2jhFcuOS
>>12
実際に明に攻め込んだら、日清戦争になるか日中戦争になるか。
朝鮮でのグダグダっぷりを見るに、後者になった可能性が高い。
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 12:36:37 ID:XzmjI+s/
>>15
戦争遂行者が秀吉なんだからしょうがない。
外交的な終結点も考えず、一番弱い海軍に対する対応もなく、
現地に総司令官すらおかず(しかも、後方の大本営からはろく
な命令がでないし)外征すれば、そりゃ負けるわな。
17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 13:48:01 ID:LauTzKIn
海軍力を整備できる大名って誰だろう?やはり信長?
23 :ななしさん:2006/10/22(日) 05:22:03 ID:IbIxv6b0
戦国時代は戦術も夜襲と待ち伏せ突撃位だろう
一部の知将を除けば将校クラスでは猪突しかしらなかった
イメージがあるのだがまあ旧日本軍もそのクラスだからな
24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 10:21:16 ID:DNBXcw3L
>>23
火力が充実する近代戦になるまでは、猪突は一番有効な戦術だった。
それだけのこと。
そもそも、下級将校の役割のかなり多くの部分は、昔も今も兵を逃げ
腰にさせないっていう点にある。そのために、ドイツ軍は将校が先頭
に立って戦うようにしたんだしな。戦国時代は火力が戦況を左右する
率が少ないだけもっとそう。
要するに、兵を猪突させることが出来る将校はそれだけで優秀なんだよ。
25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 13:19:25 ID:7szhBffk
>>21
戦国末期になれば主力は鉄砲隊だからな、集団運用された鉄砲隊の力は
長篠から始まって、朝鮮半島大陸でも立証されている。
そもそも当時明には大砲火器類はそれなりに多いが、鉄砲の集中運用は
していない。明が大砲を使って女真族撃退した記録はあるが、その他は三国志と大差無い。
日本の鉄砲隊当時世界一はそれなりに信憑性あるよ。
ヨーロッパでも16世紀から集団運用してるけど、15世紀末に限って言えば
鉄砲大国でよいと思う。
日本は当時から重工業国家だった。明への輸出で一回に刀3万本とか記録残ってる
まあ名刀の類では無いだろうけども
30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 23:41:34 ID:grxLd9aH
指揮官の経験値、という意味で言えば、戦国末期はまさに最強だった。
また、世界の歴史を見ても、分裂状態であった国をひとつにまとめた後というのは、
戦争を経験してきた兵と将だらけになってしまうため、兵器だけでなくしっかりとしたノウハウもあるので、段違いに強くなりがち。
それゆえに、大陸では分裂していた国がまとまった後は、外国に侵攻し、さらには勝ってしまう国が多い。その極端な例がチンギスハンなどだろう。
さて、もうわかるとおり、日本が強大な軍事力をもちながら何故他国をとれなかったかと言うと、
やはり大陸のように地続きではなかったから、これにつきるだろう。(くわえるなら、トップが信長ではなくいい加減で漠然とした指示ばかりの秀吉だったせい)。
とはいっても、その海のおかげで大陸の侵攻(それも相手は世界最大・最強の帝国)防げた過去もあるので、
島国であることは決して不幸とはいえないだろう。
35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:59:09 ID:dfMFTUFp
まあ南米だのインドだの東南アジアだのの植民地化される過程をみると
自己保身ばかりで纏まりが無く、西欧の凶悪な侵略主義に、されるがままの悲劇の歴史になっている
日本が特別は言えば特別なんだが。
島国だからとも言うが、逆に半島にでもいれば2千年のうちに1.2回くらい大陸制覇してたかも
勝手な妄想だが。
57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:30:26 ID:Foh6z1aA
スペインとかオランダが世界一の大国だったことがあるって見方はやっぱり西欧中心な見方に染まってるのは否めないね
技術や社会構造の進行度などはともかくもはともかくも、
彼らの時代はまだ所詮ユーラシアの諸強国には未だ太刀打ちできず、間隙を縫って弱い所を征服してたに過ぎん
欧州の諸国が本当に「列強」というべき世界に比しても圧倒的な力を持ち出したのは18世紀の半ば辺りからじゃないかね
第二次100年戦争あたりの英仏はもう世界の強国といってもいいのだろうが
61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 08:05:11 ID:whY/+/bL
●イギリス人ウィリアム・アダムス
この日本の島の国民は、性質として良好であり、あまりにも親切で、戦争では勇敢である。
彼らの法規は偏らず、すべての違反者に厳しく適用される。
彼らは人道にかなった方法で支配され、世界中で彼らよりも人道的な法律をもって
正しく支配されている国民はいないと思う。宗教面で、彼らは迷信が深い。
●スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエル
「この国の人々は、私が遭遇した国民の中でもっとも傑出している。
どの非キリスト教徒も、日本人より優れている者はいないと考える。
日本人は相対的によい素質を持ち、悪意がなく、交際して気持ちがよい。
彼らの名誉心はことさら強烈で、彼らにとって名誉がすべてである。
日本人の生活には節度がある。ただ飲むことにおいては、いくらか過ぎる国民である。
彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる。私は今日まで旅した国において、それがキリスト教徒たると異教徒たるとを
問わず 盗みにおいてこんなに信用すべき国民をみたことがない。 彼らは、皆、理性的な話を喜んで聞く。
●ポルトガル人宣教師ルイス・フロイス
彼らの風習の多くは、我らのそれとはいとも大いにかけはなれ、異風で隔たったものであり、
かくも高き文化、いきいきとした才幹、そして天賦の知性に恵まれた日本人と我々との間に
これほど極端な対照が存在し得うるとはほとんど信じる気持ちにはなれぬほどである。
ザビエルの言う通り、彼らの文化、風俗、習慣の多くの点で、スペイン人よりまさっている。
●イタリア人宣教師オルガンティーノ
日本人は全世界で最も賢明な国民に属しており、
彼らは喜んで理性に従うので、我ら一同よりはるかに優っている。
我らの主デウスが人類に何を伝えたもうたかを見たいと思う者は日本へ来さえすればよい。
彼らは不必要なことを外面の表情に表すことはなく、甚だ忍耐強く、
大度ある国民で、悔悛は真摯にして信心深く、
儀礼に大いに気をつかい、交際においては丁重である。
我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べると
はなはだ、野蛮であると思う。
私は毎日、日本人から教えられることを告白しなければならない。
私は世界の中で、これほどまで天から才能を与えられた民族はないと思う。
京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、
科学、見識、文明はローマよりはるかに高尚である。
信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりもあきらかに劣っている。
私は日本語がわかるようになってからは、
世界にかくも聡明で明敏な人々はいないと考えるに至った
62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 00:23:11 ID:+E1sJS1m
日本は鉄砲や軍人の質からすれば、物量戦力では世界でも結構な地位に
あったと思うけど、大陸出兵を見る限り、大規模軍隊の運営という点に
ついては褒められたものではない。経験してないから仕方ないが。
:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 17:21:03 ID:1L6+fg2I
物量や兵器普及率、実戦経験もさることながら、16世紀の段階であそこまでの
細かい軍隊編成が出来たのは日本だけ。足軽組や鉄砲組などの少人数単位のクラスター
での軍運用は、西洋ではナポレオン時代のプロシアのクリューパーシステムまで
待たなければならない。命令伝達の速度、軍展開の機敏さにおいて圧倒的と思われる。
朝鮮での陸戦での強さは単に兵器の違いだけではないと思うが。
66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 17:55:42 ID:ydMh/ndQ
当時の最強国はムガル帝国かオスマントルコ。
その次に斜陽の明。その次ぐらいかもしれない。
67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 18:37:00 ID:1Km6+QUB
>>65
細かい編成と言うのは少し誤解だと思うぞ。
あれは、少人数の編成ができたというよりも
封建制の名残で君主が自由に出来なかったわけで
信長のように中央集権的な権力を持つ大名は鉄砲隊などを
集中運用してる。
単一の兵科を集中できないことは大きなデメリットだと思う。
68 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/16(木) 20:44:10 ID:6GELa7qA
>>67
それは違う
織田信長も含めて総ての大名が備単位の編成を行っている。
単一兵科の集中は機動力をドブに捨てるようなもの。
ヨーロッパがそれをやったのはその程度の錬度しかない傭兵だから
俺の書いたものだが宜しければ参考に
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99%E3%81%88
69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 21:18:56 ID:1Km6+QUB
>>68
昔、似たようなスレで似たようなことやったな・・・
ちなみに16世紀のヨーロッパでもカンパニーが編成されて
例えば1558年のイギリスのカンパニー編成は
装甲槍兵 150人
非装甲槍兵 150人
アルクビューズ 100人
よくテルシオのような歩兵密集隊が編成されたのは
錬度が低いからなんて言われるが
密集隊が好まれた最大の理由は対重騎兵対策。
歩兵密集隊が騎兵対策であることは中世からの戦史を見ていればわかる。
重騎兵の脅威が減るにつれて密集隊の厚さも薄くなっていく。
単一兵科でも特に騎兵は集中運用されなければ価値は大いに下がる。
スウェーデン軍騎兵隊は歩兵と協調して攻撃を行なったが
歩兵の速度に騎兵を合せることになり、後々問題になった。
101 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:05:34 ID:vcw0ROPf
不可能って騎馬隊の突撃なんて古代から連綿と続いているわけですが、
どっかのパラレルワールドの話?
102 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 16:20:50 ID:Bm3WC3Eh
>>101
火器の増大で騎兵突撃はその価値を大幅に減じたと考えていますが?
103 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 16:31:42 ID:vcw0ROPf
>>102
だからこそ、騎兵のみで編成することによる機動力を活かして、
側面や背面へ回りこんでの攻撃が重要になってくるんでしょうが。
むしろ、歩兵と混雑して歩兵の移動速度でしか起動できない部隊の方が、
そういうことが出来ない点で圧倒的に不利。
104 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:09:48 ID:Bm3WC3Eh
>>103
日本の戦国期は備を何段にも重ねてます。
欧州は大抵、第一線に戦力を集中させますから、迂回には日本より弱いでしょうが
それに日本では迂回するには山河などの障害を踏破しなければならず、
そういう箇所では馬は役立たず。
105 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:15:02 ID:vcw0ROPf
>>104
戦略上の機動と戦術上の機動をごっちゃにしすぎ、
幾ら日本の平野部が狭いからって、
全ての戦場で部隊の側面を山河に接することなんて出来るわけがない。
106 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:17:43 ID:Bm3WC3Eh
>>105
そういう戦術レベルなら備中にいる騎馬隊の方が即応できるというものです。
107 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:19:34 ID:vcw0ROPf
>>106
100とどくかどうかという数で、指揮系統も一元化されていないのに?
全く机上の空論だよ。
108 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:24:23 ID:vcw0ROPf
正面の火力も同様、
弓にしろ鉄砲にしろ集中して使用したほうが効果は大きい、
だからこそ信長は長篠で各隊から鉄砲をよりぬき、側近たちに指揮させて運用した。
数十程度ごとの運用ではさほどの効果は見込めない。
109 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 19:14:39 ID:Bm3WC3Eh
>>107
うん、戦国の合戦は諸兵科連合小部隊同士の戦闘の連続ですから
ちなみに備は侍大将の一元指揮で進退しますが?
>>108
集中によって戦術機動性の著しい低下を招くにも拘らずですか?
そりゃあ額面の戦力は増加しますが、弾力的運用は不可能でしょうな
長篠の千挺を数人の奉行に指揮させたのは、動員しなかった武将から
引き抜いた鉄砲を指揮させるための臨時的なものと思いますが?
110 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 19:48:22 ID:vcw0ROPf
>>109
一元指揮って、せいぜい数百人で構成されて、中身は各兵科が混ざっていて、
総数は数十にもなる「備」の一つづつに指揮官がいるって事でしょう。
正にそういう状況が指揮系統が一元化されていないって言うんですよ。
それから、弾力的運用といっても、
騎馬隊の機動力は発揮できない、射撃の威力も中途半端、
重歩兵としての頑強さも足りない部隊が動きまわっても大して意味がありません。
弾力的な運用ってのは、
だいたい数百くらいの数で、騎馬なら騎馬のみ、銃兵なら銃兵、弓なら弓、
槍兵なら槍兵で固まってそれぞれの兵科の特性を十分発揮できるような体制をつくり、
それらを上手く組み合わせるて行うことで、
上記のようにどれもこれも中途半端な部隊ばかり作ることではありません。
111 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 21:27:15 ID:Bm3WC3Eh
>>110
その備の人数ではダメで一兵科につき数百でなければいけないというその
根拠をお聞かせ願いたい。
そしてダメなら何故、これらが大名領主制である江戸時代まで継続したかも
少なくとも、戦国時代を備で通した以上、そこには何らかの有効性・合理性
が存在すると考えるのはおかしな話ではないと私は思いますが?
後、いっておきますが十万石で編成される備は大体8~9個、これらも総てを
前線に貼り付けず、何段かに分けられる。
その上、これより更に備の数が多くなると別に支隊を編成する事になります。
112 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 22:41:58 ID:vcw0ROPf
>>111
根拠は戦術の最小単位が各兵科のみで構成されているかどうかだよ。
あなたは根本的に誤解しているようだけど、
諸兵科連合軍っていうのは、それぞれの兵科がその特性を活かした上で連合して戦うもの。
そのためには最小の戦闘単位はそれそれの兵科のみで構成されなければならない、
騎兵の機動力を活かすには騎兵のみで編成された部隊が必要だし、
槍兵の正面への鉄壁の防御力を十分に活かすには間に騎兵や弓兵は混在していない方がいい、
そして射撃兵科も集中して運用した方がより効果的だ。
備のように数百人で構成された戦術の最小単位が各兵科の混合隊では、
それぞれがその特性を活かせない。
日本がそういう編成のみだったのは、一つの島国の中で、
互いに同じような編成でしか戦っていなかったから。
鉄砲の伝来以降,例えば信長のようにそれを変革する動きもあったが、
結局それは完成することなく、太平の時代に入りそのまま固定してしまった。
江戸時代までそのままだったのもそういうこと、
太平の時代に入り変える必要がなくなってしまっただけ。
113 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 14:05:12 ID:LJEOdqDY
信長以降の日本が編成を固定したのは、強力な騎兵部隊を擁する明軍との戦闘で、
戦国式の編成が効果的だったからだろ。
158 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 16:39:42 ID:77K+vQH4
>>154
日本軍が僅か1年で戦争継続不能になっていたら、朝鮮半島南部を日本軍が保持した
ままの状態で、明が直接交渉に応じる訳ないじゃん。
兵站を朝鮮に負担させている明軍に、日本軍が十分対抗可能なだけの余力を持って
いたから、明は秀吉との交渉に応じたんだろ。
その証拠に、日本軍が12万もの大軍を投入した晋州城攻略は、明との講和が成立した
後におこなわれている。
交渉期間中も、日本軍は常に朝鮮半島に4万以上の軍勢を駐屯させ続けていたし。
あと、三十年戦争時代の欧州の国家と、現在の国家とを同様に考えるべきではない。
当時の諸侯は複雑に血縁関係を結んでいたし、あちこちに飛び領を持っていたりした。
日本軍が何の基盤も持たない朝鮮半島に侵攻したのとは、根本的に違うだろ。
朝鮮出兵時の日本軍みたいに、何の基盤も無い北アフリカに侵攻した欧州の軍隊なんか、
悲惨極まりない状態だったぞ。
159 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 17:55:43 ID:BVyqqTQM
>>158
だからそれは結局半島南部までくらいしか、
補給が効かなかったということでしょうが。
160 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 18:12:55 ID:77K+vQH4
>>159
半島南部に補給が効いたことだけでも、当時の欧州の軍隊には絶対不可能なことだろ。
欧州の軍隊は北アフリカでは、海岸線から離れて進軍することなんか不可能だったし、
海岸付近の都市をたまたま攻略しても1年と保持できなかった。
161 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 18:19:02 ID:77K+vQH4
>>160
ごめん。
「1年と保持できなかった」は訂正。
現地の勢力の弱い小さな都市なら、中には何年か保持できた例もあるかも知れない。
162 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:01:40 ID:BVyqqTQM
1535年にカール5世がチュニスを落してハフス朝を屈服させたり、
当時の欧州勢は北アフリカでも互角に戦っているように思うけど?
163 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 22:30:27 ID:O8wwHERj
>>157
>どなたか欧州の軍隊が歩騎混合部隊と衝突した戦いがあれば教えてください。
歩騎混合部隊とは?
歩兵と騎兵を持つ軍のこと?
164 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 22:45:39 ID:BVyqqTQM
>>163
多分、戦術上の最小単位となる部隊の中に、
騎兵と歩兵が混在しているような編成の部隊、って事でしょう。
最近のレスでは私がそういう部隊をさして、
「歩騎混合部隊」って言い方をしているから。
165 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 23:03:12 ID:O8wwHERj
>>164
なるほど、戦術上の最小単位となる部隊でという意味ですね。
そんな軍隊ほとんど存在しないでしょう。
必要に応じてそういった編成になることはありますが
それが一般的な編成である軍隊というのはほとんど聞いたことがありません。
中世ヨーロッパの「ランス」や「Compagnies d'Ordonnance 」はあくまで動員上の単位であって
戦術上の単位ではありませんから。
ヨーロッパでは古代から現代(ヨーロッパに限らず)まで中央に歩兵、両翼に騎兵という陣形が基本になってます。
こういった陣形を組む上で歩兵は歩兵、騎兵は騎兵で集中させることは必然です。
これは現代の軍隊でも同じです。
360 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 20:55:35 ID:adyu5mZB
なぜ西欧が独走状態になってしまったかは、
世界史上の重大な研究テーマの一つだからね。
興味があるなら本格的に研究してみる価値はあるだろうし、
世界史板あたりにはそれをテーマにしたスレとかも多分あるだろう
437 :人間七七四年:2007/03/17(土) 00:25:44 ID:88srA1VZ
日本軍は歩兵主体の軍隊で、戦国期から何百年も前の
モンゴル帝国軍よりたいした事はないよ。
純粋に軍事的に考察すると機動力もない日本軍なんて評価にすら値しない。
同時代のスペイン・ポルトガルが外洋を横断できる海軍を保有していた事を考えると、
日本の海上勢力なんて日本の近隣しか動かせないから対したものですらない。
軍事力において必要なものはそれは機動力なのだが、
機動力の存在しない狭い日本でしか暴れられない日本の軍隊など、
軍事的に考えたらたいしたことないぜ。
438 :人間七七四年:2007/03/17(土) 00:29:44 ID:svJDV3pu
欧州において
100度の戦い負け無しという上杉謙信のような人材が居たか
居ないだろ
くやしかったらそういう欧州の名将をあげてみてほしい
当時の日本は英雄や名将が割拠していたわけなんだから
強いのは当たり前。
439 :人間七七四年:2007/03/17(土) 00:35:54 ID:88srA1VZ
上杉謙信なんて100度の戦いで何も得られないのだから、
その実名将でもなんでもないだろ。
ワーテルローの戦いで
活躍したアーサー・ウィーズリーは一度の戦いで全てを決めた。
無駄に100回も戦う奴より、
一度の戦いで全ての大事を成し遂げる奴の方が天才に決まっている。
440 :人間七七四年:2007/03/17(土) 00:38:05 ID:88srA1VZ
上杉謙信が戦術的天才である事は認めるにしても、
戦いって戦略的目的を達成させるのも大事じゃん?
謙信は何度も高いながら戦略的敗北を繰り返すのだから、
指揮官としてはあまり優れてない。
徳川家康の方が戦略家としては凄い。
579 :人間七七四年:2007/03/27(火) 16:36:33 ID:ZsIfr/M+
秀吉が死ななかったら勝てたとはいえないまでも朝鮮ぐらいとれたかもしれん
586 :人間七七四年:2007/03/27(火) 23:02:24 ID:sfkMMXQP
>>584
戦略目標を達成できなかった戦争は全て「負け」ですよ。能力に見合った目標を立てられ
なかった時点で。
587 :人間七七四年:2007/03/27(火) 23:20:20 ID:ZQRuZfUN
諜報能力と情報分析力が足りなかったね。
588 :人間七七四年:2007/03/27(火) 23:41:58 ID:SR6cdimP
>586
いや勝ち負けとはまた別の問題でだな……
そもそも どこまでが可能でどこからが限界なのかというコトそれ自体がノウハウ皆無で分からんわけで
それを事前に予知して作戦を立てるなんてことは神様の所業だろ……
果敢に挑戦して敗れたとはいえ その挑戦自体の価値が下がるわけじゃねーだろうと
つーか このスレの意義に則って海外の国と比較するなら
そもそも十万を集めることすらできなかった同時期のスペインとかと比べてどんだけ上に行ってるのか っつー話にもなるわいな
689 :人間七七四年:2007/08/31(金) 01:17:31 ID:pIjBST7y
このスレ、凄い読みごたえがありますな。
言い合いにも大人の余裕すら感じる。
個人的に、>>68以降で戦国日本の『備』の説明は頷ける部分があった。
俺が前から考えていて説明しにくかったことが綺麗にまとまっている気がした。
ついでに、俺の読み違え出なければ、騎兵と歩兵の混合は機動力を削ぐ・・という意見が
あったように思うが、むしろ騎兵(騎馬武者)と歩兵(徒歩)の混合こそが
少なくとも日本での智恵の結晶であると思う。
騎兵は速度が武器であって、速度が鈍れば歩兵の餌食。複雑な地形で速度が鈍りがちな日本で、
騎兵と歩兵をセットにして騎兵を『打たれ強く』することは極めて合理的。
森林山地など、大軍が分断されやすい場所では、独立・完結した小集団に編成するのは
現代でも通じるもの。
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うわぁ、信長に夢みてるなぁ。