蜀漢が三国統一を成し遂げていたら?
2008.05.26 |Category …歴史・戦国
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天下統一まで至らないだろう
蜀漢(関中+巴蜀)と関東の魏で並立して戦線膠着する可能性が高い
五胡十六国の東西対立が100年早く到来するだけ
江南勢力は蚊帳の外でも何ら問題なしなのは歴史が証明している
(中には劉裕みたいな傑物が突然変異で登場することもあるが)
蜀漢(関中+巴蜀)と関東の魏で並立して戦線膠着する可能性が高い
五胡十六国の東西対立が100年早く到来するだけ
江南勢力は蚊帳の外でも何ら問題なしなのは歴史が証明している
(中には劉裕みたいな傑物が突然変異で登場することもあるが)
益州閥VS戦功組となりますかね?
>>5
益州閥なんてないよ
被征服者なんだから
あるのは荊州閥
統一の過程で吸収するだろう中原や冀州の勢力と
劉備政権首脳である荊州派閥の間に対立が起きる可能性は高いな
益州閥なんてないよ
被征服者なんだから
あるのは荊州閥
統一の過程で吸収するだろう中原や冀州の勢力と
劉備政権首脳である荊州派閥の間に対立が起きる可能性は高いな
コーエーの三国志だと
派閥なんてないよ
派閥なんてないよ
玄徳の息子はまれにみる暗愚だったから、とんでもないことになってたと思う
稀にみる暗愚ってほどじゃ…
せいぜい凡君だろ
せいぜい凡君だろ
暗愚っていうのなら、後期の曹叡もだろうな。
前期はまずまずだったのに諸葛亮の死後、気が抜けて一気にアホになりあっけなく病没。
それ以降はもはや司馬家に主権を乗っ取られる形に。
魏はどういう結果になろうとも、結局は司馬家に滅ぼされたろうな。
前期はまずまずだったのに諸葛亮の死後、気が抜けて一気にアホになりあっけなく病没。
それ以降はもはや司馬家に主権を乗っ取られる形に。
魏はどういう結果になろうとも、結局は司馬家に滅ぼされたろうな。
どうだろうなあ
劉禅の場合は支える人間がいればそこまで無茶はしない気がする
それは恵帝も似たようなものなんだが
劉禅の場合は支える人間がいればそこまで無茶はしない気がする
それは恵帝も似たようなものなんだが
劉備の死後、丞相諸葛亮の法家統治・中央集権政策を妨げるべく、
楚王関羽・巴王張飛を 中心に、諸侯が蜂起→八王の乱状態
楚王関羽・巴王張飛を 中心に、諸侯が蜂起→八王の乱状態
>>15
その架空シナリオいいね。
秦王馬超と燕王趙雲、斉王靡竺、成王呉壱、陳王劉封、衛王黄忠あたりで。
その架空シナリオいいね。
秦王馬超と燕王趙雲、斉王靡竺、成王呉壱、陳王劉封、衛王黄忠あたりで。
>25 名将だとは思うけど、大軍を率いたり行政官を務めるとしたら
あまり事跡が記されていないので判断しかねる。 太守はやってるようだけど
あまり事跡が記されていないので判断しかねる。 太守はやってるようだけど
姜維が世に出ないのは確実だろうな
いつの時代に統一するかによるんじゃね
劉備時代なら無名のまま
孔明時代にはいれば嫌でもでてくるだろ
劉備時代なら無名のまま
孔明時代にはいれば嫌でもでてくるだろ
劉備が天下取ったらでっかい北朝鮮の出来上がりじゃん
劉備は天下取らなかったから今でも英雄で好かれてるんすよ。
晋という時代の雄には逆らっちゃいかんよな。
魏後蜀もろとも晋に併呑されて終わるのが一番自然だ。
魏後蜀もろとも晋に併呑されて終わるのが一番自然だ。
つまり中央政権が国家の常だったと?
その割には劉備は荊州を関羽に任せきりだったよな。
その割には劉備は荊州を関羽に任せきりだったよな。
劉備って夷陵での敗戦が無かったら寿命が延びてたかな?
それでも還暦越えてるからそう長くは持たないか。
そうするとやはり孫権らが怖い。 曹家とも一緒に、
婚姻関係と人質を同時に取るのが上策かね
たぶん曹操にも贈諡するんだろうな
それでも還暦越えてるからそう長くは持たないか。
そうするとやはり孫権らが怖い。 曹家とも一緒に、
婚姻関係と人質を同時に取るのが上策かね
たぶん曹操にも贈諡するんだろうな
夷陵で陸遜が部下の暴走を止められず伏兵策にかかって負けたらどうなるかな
>>61
当然、襄陽から曹魏が南下し、天下は一つに収斂されるだろうな。
当然、襄陽から曹魏が南下し、天下は一つに収斂されるだろうな。
ホウ統、関平、馬良、魏延らが生きてて
陳泰が親の代から仕えてて李厳や黄権らが諸葛亮の補佐を続けていたら・・・
>61-62 まだその時点では魏の名将もだいぶ生き残っているからな。
北伐のあたりまで国力を蓄えて呉と連携するか
陳泰が親の代から仕えてて李厳や黄権らが諸葛亮の補佐を続けていたら・・・
>61-62 まだその時点では魏の名将もだいぶ生き残っているからな。
北伐のあたりまで国力を蓄えて呉と連携するか
劉備の死後、実権を握った諸葛亮が関・張らの功臣一族を粛清でFA?
関羽と張飛はまず粛清される事は無いと思うけど…。
まず、>>1みたいにうまくいかんだろ。
「長安占領後、魏を押し切る」と書いてるけど、魏は押し切られる前に呉や匈奴と組んで、
蜀の背後を襲わせるはず。
「長安占領後、魏を押し切る」と書いてるけど、魏は押し切られる前に呉や匈奴と組んで、
蜀の背後を襲わせるはず。
>>73
赤壁の因縁は根深いものがあるんじゃないか?
それに関羽がしっかりと外交に目をむけ、関羽と孫権の子を婚姻させ
北上に際して、荊州の南半分を呉に返還、蜀呉の同盟堅持に徹底すれば
背後から襲うのは到底無理。
匈奴も馬超が丸め込んでるのでそういう状態になったら
さすがに魏でも持ちこたえられないだろう。
赤壁の因縁は根深いものがあるんじゃないか?
それに関羽がしっかりと外交に目をむけ、関羽と孫権の子を婚姻させ
北上に際して、荊州の南半分を呉に返還、蜀呉の同盟堅持に徹底すれば
背後から襲うのは到底無理。
匈奴も馬超が丸め込んでるのでそういう状態になったら
さすがに魏でも持ちこたえられないだろう。
魏呉の関係は利益あっての険悪なものだから
利を蜀の側から持ち込まれたら(魏を滅ぼしたら荊州のすべてを譲渡など)
魏のために尽くすなんてことはないだろう。
孫権は荊州に相当拘ってたみたいだし、それにわざわざ斜陽の魏に肩入れする理由がない。
蜀が呉を対等な目線で見て、外交にしっかりと尽くせば
まずは全力で魏を潰すことに協力すると思うよ。
劉備と孫夫人、諸葛兄弟など蜀呉は親密な関係を築ける要素も多いからね。
利を蜀の側から持ち込まれたら(魏を滅ぼしたら荊州のすべてを譲渡など)
魏のために尽くすなんてことはないだろう。
孫権は荊州に相当拘ってたみたいだし、それにわざわざ斜陽の魏に肩入れする理由がない。
蜀が呉を対等な目線で見て、外交にしっかりと尽くせば
まずは全力で魏を潰すことに協力すると思うよ。
劉備と孫夫人、諸葛兄弟など蜀呉は親密な関係を築ける要素も多いからね。
>>78
魏を滅ぼしたら荊州だけなんて条件、とても対等とはいえないし、その程度の
利で蜀に全面協力するほど呉がなまぬるいとは到底思えませんが。
魏を滅ぼしたら荊州だけなんて条件、とても対等とはいえないし、その程度の
利で蜀に全面協力するほど呉がなまぬるいとは到底思えませんが。
魏が小さくなれば、蜀や呉の侵攻と同時に北方から騎馬民族が侵攻してきて、
また乱世になる可能性もあるなあ。
また乱世になる可能性もあるなあ。
順調に北伐を進める蜀軍に追い詰められた曹丕or曹植が、
八王の乱の時のように、傭兵として匈奴とかを中原に招き入れる可能性もあるな。
八王の乱の時のように、傭兵として匈奴とかを中原に招き入れる可能性もあるな。
蜀漢による三国統一までの過程
219年 関羽、樊城を落とし、南陽まで北上。許都・洛陽を脅かす。
(呉は魏との和約を破棄し、合肥へ出兵)
劉備・法正率いる本隊、長安に入城、函谷関を境に魏軍と対峙
220年 馬超、羌族と協力し、涼州を制圧
曹操病没、後継者戦争勃発
誰か、続き頼む
219年 関羽、樊城を落とし、南陽まで北上。許都・洛陽を脅かす。
(呉は魏との和約を破棄し、合肥へ出兵)
劉備・法正率いる本隊、長安に入城、函谷関を境に魏軍と対峙
220年 馬超、羌族と協力し、涼州を制圧
曹操病没、後継者戦争勃発
誰か、続き頼む
>>52を少し改訂
219年 劉備、江陵を除く荊州南部を孫権に割譲し、合肥攻撃を促す。
関羽、樊城を落とし、南陽まで北上。許都・洛陽を脅かす。
劉備・法正率いる蜀軍本隊、長安に入城、函谷関を境に魏軍と対峙。
曹操、献帝をギョウに移すと、息子達を各戦線に派遣し、勢力を堅持。
220年 馬超、羌族と協力し、涼州を制圧、そのまま現地に留まる。
孫権、合肥にて張遼に大敗し、揚州に逼塞。
曹操、南陽の関羽を排除すべく戦力を集中。劉備も対抗して長安より出陣。
魏蜀両軍、荊州北部で対峙するも決着付かず。
曹操、陣中にて病を発し病没。曹丕、魏王位を継承するも、
ギョウを守っていた曹植、献帝を擁し叛旗を翻す。
妄想力もこの辺が限界。
219年 劉備、江陵を除く荊州南部を孫権に割譲し、合肥攻撃を促す。
関羽、樊城を落とし、南陽まで北上。許都・洛陽を脅かす。
劉備・法正率いる蜀軍本隊、長安に入城、函谷関を境に魏軍と対峙。
曹操、献帝をギョウに移すと、息子達を各戦線に派遣し、勢力を堅持。
220年 馬超、羌族と協力し、涼州を制圧、そのまま現地に留まる。
孫権、合肥にて張遼に大敗し、揚州に逼塞。
曹操、南陽の関羽を排除すべく戦力を集中。劉備も対抗して長安より出陣。
魏蜀両軍、荊州北部で対峙するも決着付かず。
曹操、陣中にて病を発し病没。曹丕、魏王位を継承するも、
ギョウを守っていた曹植、献帝を擁し叛旗を翻す。
妄想力もこの辺が限界。
220年 曹丕、献帝を奪回する為、洛陽・許昌に最低限の守備兵を置いてギョウへ進撃。
(甄氏を奪回するために進行したという説もある)
以下同文
221年 以下同文
曹丕も甄氏するためとは言えんので、献帝を奪回するという大義名分を用いるんだと思う。
(甄氏を奪回するために進行したという説もある)
以下同文
221年 以下同文
曹丕も甄氏するためとは言えんので、献帝を奪回するという大義名分を用いるんだと思う。
>>88
あーそっか。
しかし、曹叡が即位したとして皇太后が甄氏だった場合はどうなっただろうか?
無駄な宮殿の増築や改築は無かっただろうし健全な後継者を生産することも可能じゃないかな?
司馬一門に屈しないと思うな
あーそっか。
しかし、曹叡が即位したとして皇太后が甄氏だった場合はどうなっただろうか?
無駄な宮殿の増築や改築は無かっただろうし健全な後継者を生産することも可能じゃないかな?
司馬一門に屈しないと思うな
幽州:公孫淵
并州:劉豹
冀州:曹丕
青州:曹丕
徐州:孫権
兗州:曹植
司隷:劉備
予州:曹植
涼州:馬超
益州:劉備
荊州:劉備
揚州:孫権
交州:士燮
これくらいカオスな状況じゃなきゃ無理。
并州:劉豹
冀州:曹丕
青州:曹丕
徐州:孫権
兗州:曹植
司隷:劉備
予州:曹植
涼州:馬超
益州:劉備
荊州:劉備
揚州:孫権
交州:士燮
これくらいカオスな状況じゃなきゃ無理。
それだと劉備有利じゃないか?
司隷全部抑えたら中国の半分は制するようなものだし
曹丕と二分がいい
司隷全部抑えたら中国の半分は制するようなものだし
曹丕と二分がいい
張飛が政治に開眼して摂政王として劉禅をびしばしサディスティックに躾る。
劉禅超化して天下統一とか。
劉禅超化して天下統一とか。
魏が分裂したら、武将はどっちにつくか妄想してみた。
【四天王】
夏侯惇 → 南魏 曹操の遺志を守り、曹丕に仕える
夏侯淵 → 故人 漢中で黄忠に討たれる
曹仁 → 故人 樊城で関羽に討たれる
曹洪 → 北魏 借金を断った件で曹丕の報復を恐れ、曹植側へ
【五虎】
張遼 → 南魏 地理的に曹丕側へ付くが、骨肉の争いには関与せず、対呉戦線に傾注
張郃 → 南魏 曹丕とは袁家討伐からの付き合い
徐晃 → 故人 樊城で関羽に討たれる
于禁 → 北魏 蜀から開放された後、曹丕に罵倒され曹植側へ
楽進 → 故人 218年に死去
曹真は友人である曹丕側、曹休は曹洪との絡みから曹植側かな
【四天王】
夏侯惇 → 南魏 曹操の遺志を守り、曹丕に仕える
夏侯淵 → 故人 漢中で黄忠に討たれる
曹仁 → 故人 樊城で関羽に討たれる
曹洪 → 北魏 借金を断った件で曹丕の報復を恐れ、曹植側へ
【五虎】
張遼 → 南魏 地理的に曹丕側へ付くが、骨肉の争いには関与せず、対呉戦線に傾注
張郃 → 南魏 曹丕とは袁家討伐からの付き合い
徐晃 → 故人 樊城で関羽に討たれる
于禁 → 北魏 蜀から開放された後、曹丕に罵倒され曹植側へ
楽進 → 故人 218年に死去
曹真は友人である曹丕側、曹休は曹洪との絡みから曹植側かな
麋芳・士仁が紀信・周苛の如く奮戦。
関羽は退却し、それを深追いした徐晃が伏兵にかかって討死。
士気の潰えた樊城を関平に任せ、三日後に曹仁自害、満寵は投降。
呂蒙が攻めあぐねているところを関羽は直属の五千の兵で蹴散らす、とか。
無理だな、無理がありすぎるw
関羽は退却し、それを深追いした徐晃が伏兵にかかって討死。
士気の潰えた樊城を関平に任せ、三日後に曹仁自害、満寵は投降。
呂蒙が攻めあぐねているところを関羽は直属の五千の兵で蹴散らす、とか。
無理だな、無理がありすぎるw
どのタイミングで呉が痺れを切らすかだな。
荊州南部を明け渡して機嫌をとっても、いずれ蜀巨大化の危険性に気付くだろうし。
荊州南部を明け渡して機嫌をとっても、いずれ蜀巨大化の危険性に気付くだろうし。
蜀が本気で天下取りを狙うなら、どの道何処かの段階で荊州は呉に預けなければならんのだよな。
揚州一州では徐州を落とせないという呂蒙の言は正しい=呉には絶対荊州が必要だし、
涼州取った後で荊州も領有し続けられるほどには益州も豊かじゃねぇ。
揚州一州では徐州を落とせないという呂蒙の言は正しい=呉には絶対荊州が必要だし、
涼州取った後で荊州も領有し続けられるほどには益州も豊かじゃねぇ。
一番いいのは蜀と呉に魏が大軍差し向けてくれれば団結するんだが
そんなアホはいないって?歴史を見てるとありえないアホってたくさんいるんだな
三国志は意外とアホが少ない
そんなアホはいないって?歴史を見てるとありえないアホってたくさんいるんだな
三国志は意外とアホが少ない
つーか荊州を呉に割譲なんて口約束ならともかく現実じゃ無理っぽくね?
荊州に地縁血縁持ってる連中はまず間違いなく反発するし
そうじゃない連中だって血を流して切り取ったところを明け渡す代償が
同盟強化ってだけじゃ納得しないっしょ。
ヘタしたら呉と共同戦線どころか劉備政権崩壊まっしぐらでそ。
荊州に地縁血縁持ってる連中はまず間違いなく反発するし
そうじゃない連中だって血を流して切り取ったところを明け渡す代償が
同盟強化ってだけじゃ納得しないっしょ。
ヘタしたら呉と共同戦線どころか劉備政権崩壊まっしぐらでそ。
そんなことまでして荊州に兵を送り込んだら魏に手薄な
本国を狙われて呉が滅びる。
だからこその三すくみなわけで。
本国を狙われて呉が滅びる。
だからこその三すくみなわけで。
>>125
結局2方面作戦ずっとやってても呉は長江下流での水上戦では決定的打撃を受けた事が無い。
これは南朝に共通するけど、長江上流を奪われる事の方がずっと危機的なんですよ。
結局2方面作戦ずっとやってても呉は長江下流での水上戦では決定的打撃を受けた事が無い。
これは南朝に共通するけど、長江上流を奪われる事の方がずっと危機的なんですよ。
真正面から戦えばそう簡単に後方遮断なんか出来ないだろ。
陸遜が夷陵で出来たのは水軍を放棄してたからだし。
三峡の険による行動制限が少なければ、ああいう不様な敗北を喫することも無い。
旧劉表閥に局地戦でほとんど勝ちながら
大勢を変えられなかったのは下流の不利があったからと思う。
陸遜が夷陵で出来たのは水軍を放棄してたからだし。
三峡の険による行動制限が少なければ、ああいう不様な敗北を喫することも無い。
旧劉表閥に局地戦でほとんど勝ちながら
大勢を変えられなかったのは下流の不利があったからと思う。
麋芳、士仁がきちんと後方を固めてくれるならそれで結論にしてもええかもしらんが。
>>130
まあ、それが結論かもな。
後顧の憂いをなくしておけば
荊州はまるごと関羽軍が収めてもおかしくはない
展開になってたからな。
まあ、それが結論かもな。
後顧の憂いをなくしておけば
荊州はまるごと関羽軍が収めてもおかしくはない
展開になってたからな。
関羽が生きてるうちはいいけど年齢も年齢だし
後継を考えなきゃいけないわけだが巨大な荊州をまかせるのに信用できる武将っている?
後継を考えなきゃいけないわけだが巨大な荊州をまかせるのに信用できる武将っている?
馬良兄弟かな・・・
古今言い尽くされてるけど、蜀は地政学的にメチャクチャ堅固なんだと思うよ。
特に長江から蜀へ攻め上るのは難しかっただろう。公孫述や劉璋が落ちるまで
何年も掛かってるし、劉禅自身が40年長持ちしてる。他の時代でも似た例は多いはず。
蜀漢が滅んだ直後は鐘会・鄧艾も死んで、一時的にであれ呉に相当有利だったはずなのに
蜀の旧将が寡兵で入り口の永安を押さえたら、陸抗の兵3万でも長江を上れなくなったし。
君主や将兵の資質いかんと余り関係なく(?)、呉の蜀攻めに相当の時間と労力を消費する点は
IF妄想する上でもデフォ設定になると思うよ。
これが三すくみをややこしく(面白く)した要素でもあるだろう。
古今言い尽くされてるけど、蜀は地政学的にメチャクチャ堅固なんだと思うよ。
特に長江から蜀へ攻め上るのは難しかっただろう。公孫述や劉璋が落ちるまで
何年も掛かってるし、劉禅自身が40年長持ちしてる。他の時代でも似た例は多いはず。
蜀漢が滅んだ直後は鐘会・鄧艾も死んで、一時的にであれ呉に相当有利だったはずなのに
蜀の旧将が寡兵で入り口の永安を押さえたら、陸抗の兵3万でも長江を上れなくなったし。
君主や将兵の資質いかんと余り関係なく(?)、呉の蜀攻めに相当の時間と労力を消費する点は
IF妄想する上でもデフォ設定になると思うよ。
これが三すくみをややこしく(面白く)した要素でもあるだろう。
益州はそれ自体が巨大な要塞だもんな。
ただ出入りが不便すぎるし、前線に兵力を集中させてる時に迂回を食らって負けることもある。
ただ出入りが不便すぎるし、前線に兵力を集中させてる時に迂回を食らって負けることもある。
逃げ込む前に夷陵を閉じられてたしな。
孟達・劉封と合流するのは手として「無し」だったかな?
配下が四散しては戦えるはずもないし。
孟達・劉封と合流するのは手として「無し」だったかな?
配下が四散しては戦えるはずもないし。
しかし荊北の一角を出城として確保しておけば、そう易々と降らないと思われる。
孟達の投降も関羽敗死の責任を追求されそうだったからだし。
不幸中の幸いという感じにはならないかな?
樊城からの撤退で南に行くのはもうその時点でどん詰まりだし。
孟達の投降も関羽敗死の責任を追求されそうだったからだし。
不幸中の幸いという感じにはならないかな?
樊城からの撤退で南に行くのはもうその時点でどん詰まりだし。
荊州出身者で、呉と交渉&威圧できるだけの能力と名声があって、
髭のプライド&兵糧略奪事件をカバーしつつ、後方から髭と上手く付き合える人物か。
「懸命に探しましたが、みつかりませんでした。」だなw
そもそも馬良は当時から荊州で関羽を補佐してて、史実の結果に終わったわけだからな。
他に候補を上げようにも、錦馬超には髭が対抗心剥き出し、漢中戦の功労者の黄忠は格下呼ばわり、
魏延は漢中太守の重責、張飛は徐州失陥の前科持ち、趙雲はそもそも実績が無い。
第一、このメンバーを荊州に回したら、劉備本隊の長安攻略が難しくなる気が。
やはり、龐統が死んだのは痛いな。
髭のプライド&兵糧略奪事件をカバーしつつ、後方から髭と上手く付き合える人物か。
「懸命に探しましたが、みつかりませんでした。」だなw
そもそも馬良は当時から荊州で関羽を補佐してて、史実の結果に終わったわけだからな。
他に候補を上げようにも、錦馬超には髭が対抗心剥き出し、漢中戦の功労者の黄忠は格下呼ばわり、
魏延は漢中太守の重責、張飛は徐州失陥の前科持ち、趙雲はそもそも実績が無い。
第一、このメンバーを荊州に回したら、劉備本隊の長安攻略が難しくなる気が。
やはり、龐統が死んだのは痛いな。
どっちにしろ両面作戦になるんだから、
漢中(魏延)、夷陵(孟達)、江陵(黄権)と配して、全力で長江を下ってはどうか?
魏を滅ぼすよりはるかに簡単だと思うが。
漢中(魏延)、夷陵(孟達)、江陵(黄権)と配して、全力で長江を下ってはどうか?
魏を滅ぼすよりはるかに簡単だと思うが。
たぶん蜀の主戦論は>>144みたいな意見だったんだろうな
ただ、成功すれば魏と南北対決、失敗すれば滅亡・・・
リスクが大き過ぎるのでは?
まあ、やってみない事には三すくみを打開できないんだから、
>>144の成功シナリオを考えると面白いな
あと、攻めるリスクと攻めないリスクを天秤にかけて
攻める事にしたのが漢中の戦い、攻めない事にしたのが魏延の長安攻めの策、
天秤がぶっ壊れたのが夷陵の戦いだね
ただ、成功すれば魏と南北対決、失敗すれば滅亡・・・
リスクが大き過ぎるのでは?
まあ、やってみない事には三すくみを打開できないんだから、
>>144の成功シナリオを考えると面白いな
あと、攻めるリスクと攻めないリスクを天秤にかけて
攻める事にしたのが漢中の戦い、攻めない事にしたのが魏延の長安攻めの策、
天秤がぶっ壊れたのが夷陵の戦いだね
いっそ外交考えなくて良い長安攻めを関羽、楊儀、魏延に任せて、
漢中から劉備と黄権が江陵に駐屯。
成都に孔明ってのはどうなんかねぇ。
漢中から劉備と黄権が江陵に駐屯。
成都に孔明ってのはどうなんかねぇ。
ショウエンの川下りもありましたね
長江を下るってことが実際は魏を狙う作戦としても呉にいらぬ警戒を抱かせると思ったのかも
>>153
いらぬ警戒どころかショウエン川下りの真の目的が呉(荊州)攻めだったのかもしれないしな。
いらぬ警戒どころかショウエン川下りの真の目的が呉(荊州)攻めだったのかもしれないしな。
蒋エンと当時荊州で執政を取っていたハンシュンとは姻戚だよな。
上手く連携が取れればあるいは…とは思わないでもないが、
ハンシュンも謀反を疑われかねないから滅多な行動は取れないか。
上手く連携が取れればあるいは…とは思わないでもないが、
ハンシュンも謀反を疑われかねないから滅多な行動は取れないか。
孔明死後直後に起きた蜀呉国境紛争もあるし
やはり蜀と呉は同盟組んでいてもお互い完全に信頼しあっていないという関係だったのかもな
やはり蜀と呉は同盟組んでいてもお互い完全に信頼しあっていないという関係だったのかもな
呉の苛烈な人狩りに反発した(はずの)山越を
蜀が懐柔すれば、呉との力関係を是正できたかも知れん
ただ山越の懐柔は魏もやったが不調だったらしいので効果は不明
蜀が懐柔すれば、呉との力関係を是正できたかも知れん
ただ山越の懐柔は魏もやったが不調だったらしいので効果は不明
山越ってそんなに大勢いたの?
いるなら、まとまって国でも作ればよかったのにな。
単一の民族ってわけじゃないから無理なんだろうが
近くの国家に帰順もせずに略奪とかしてくる連中って、国からしたら本当に迷惑だっただろうな
いるなら、まとまって国でも作ればよかったのにな。
単一の民族ってわけじゃないから無理なんだろうが
近くの国家に帰順もせずに略奪とかしてくる連中って、国からしたら本当に迷惑だっただろうな
そもそも当の山越からすればよそ者が勝手に入ってきて
国を作られて支配下に収まれと言われても困るだろうな
国を作られて支配下に収まれと言われても困るだろうな
陳寿は「呉は山越対策に追われたせいで
魏にへりくだる羽目になった」らしい事を言ってるし
孫権も「山越が片付きさえすれば蜀の攻略に専念できるのに」
と言ってるから、呉には相当ウザい存在だったんだろう。
ただ蜀も山越に積極的には工作してないみたいだが
たぶん工作する余裕がなかったんだろう。
魏にへりくだる羽目になった」らしい事を言ってるし
孫権も「山越が片付きさえすれば蜀の攻略に専念できるのに」
と言ってるから、呉には相当ウザい存在だったんだろう。
ただ蜀も山越に積極的には工作してないみたいだが
たぶん工作する余裕がなかったんだろう。
あと、魏と呉と山越の位置関係を考えると、
魏がどうやって懐柔工作したのかちょっと不思議だ。
魏は終わりかけの頃にベトナムを支配下に置いてるぐらいだから
三国最強の機動力があったんだろうけど。
魏がどうやって懐柔工作したのかちょっと不思議だ。
魏は終わりかけの頃にベトナムを支配下に置いてるぐらいだから
三国最強の機動力があったんだろうけど。
山越って結局孫権一代を通じた討伐・同化政策のおかげで
完全に中国化するんだよな
蜀が鎮めた(?)南蛮勢力は
明代まで異民族として騒擾を起こし続けていたそうだけど
呉の山越討伐と蜀の南蛮平定を比べて、孫権馬鹿だなぁとか思ってたけど
以降の中国史の貢献度では呉の方が上だった
孫権馬鹿にしてゴメンよぉ
完全に中国化するんだよな
蜀が鎮めた(?)南蛮勢力は
明代まで異民族として騒擾を起こし続けていたそうだけど
呉の山越討伐と蜀の南蛮平定を比べて、孫権馬鹿だなぁとか思ってたけど
以降の中国史の貢献度では呉の方が上だった
孫権馬鹿にしてゴメンよぉ
蜀統一後に劉備が死んで、もしホウ統も生きてたら、
孔明といい勝負したろうね!一番の目玉になりそうwww
2大勢力、分があるのはどっちだろう??
孔明といい勝負したろうね!一番の目玉になりそうwww
2大勢力、分があるのはどっちだろう??
諸葛亮が献帝を擁することで「漢中王家の軍師」から
「後漢帝国の丞相」に成り上がって、陪臣の地位から脱却。
その後、第二代漢中王劉禅を排斥し、最盛期の曹操を上回る位置に到達する。
で、その後に献帝暗殺、跡を継いだ皇子(おそらく哀帝とかになる)から禅譲を受けて新王朝樹立。
「後漢帝国の丞相」に成り上がって、陪臣の地位から脱却。
その後、第二代漢中王劉禅を排斥し、最盛期の曹操を上回る位置に到達する。
で、その後に献帝暗殺、跡を継いだ皇子(おそらく哀帝とかになる)から禅譲を受けて新王朝樹立。
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